各紙社説主張のバラバラ感に安堵する終戦記念日〜成熟した民主主義国である日本で実現している言論の自由のありがたみを感じる
●【朝日社説】〜「千匹のハエ」じゃ素材としては弱すぎないか、これは失敗作
【朝日社説】戦争という歴史―「千匹のハエ」を想像する
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
「千匹のハエ」を想像するという異色のタイトルが目を引きますが、朝日新聞社説お得意の冒頭にて「中学、高校で歴史を学ぶ皆さんへ。 」と、ターゲットを特定層に絞っての論説なのであります。
今日は62回目の終戦記念日です。夏の暑い盛りですが、少し頭を切りかえて、あの戦争のことを考えてみませんか。
終戦記念日ぐらいたまには戦争のことを考えてみようと呼びかけます。
で、今年95歳になった映画監督、新藤兼人さんの戦時中の逸話が紹介されています。
社説の結語。
62年前、家族に会うために、千匹のハエを捕まえた兵隊が確かにいたという現実がありました。
今日という日に、そんなことに思いをめぐらしてみてはどうでしょう。
・・・
うーん、残念です。
特攻隊、集団自決、大量殺戮(さつりく)……。戦争のそこかしこに「狂気」があります。新藤さんが見たハエもその一つでした。
それはそうなんでしょうけど、いかにも逸話としてはインパクトが弱い感が否めないのですよねえ。
私の感想としてはこんなところでしょうか。
【木走辛口寸評】
「千匹のハエ」を想像しろってか、あいかわらず押しつけがましい論説である。
しかし何だろう、このセンスのないタイトルは??
それにしても「千匹のハエ」じゃ素材が弱くて朝日の「反戦」の想いがこれでは若い人には伝わらないだろう、素材選定としては失敗作じゃないのか。
全文を通じて例の朝日社説の嫌みな偉そうな学校の先生のような「おしえてやる」的指導的文体が味わえる点は評価したいが、インパクトという点では弱いと言わざるを得ない。終戦記念日ならもっと朝日色を出してほしかった。
朝日としては珍しく安倍批判がまったく展開されていないが、これは宿敵安倍が参院惨敗でヘロヘロになり、今日靖国参拝する閣僚がゼロという体たらくに、朝日なりに満足しているからであろうか、「中学、高校で歴史を学ぶ皆さんへ。 」と余裕を噛ましているのがそんな現状に対する朝日なりの満足感からだとすれば、それはそれで笑えて味わい深いものがあるのだが。社説としては駄作である。
・・・
もっともっと朝日らしい「暴走」を期待したんですがね。
終戦記念日の朝日社説を愛でてみましたが、残念ながら駄作でしたねえ。
これじゃあまり批判もできません。
朝日よ、がんばれ、もっと気合いを入れて「暴走」してくれ!(←何いってんだかなあ、このオヤジは(苦笑))
●力のこもった各紙社説〜それにしても各紙主張のバラバラ感が何とも嬉しい
さて、今日(15日)の力のこもった各紙社説はこちら。
【朝日社説】戦争という歴史―「千匹のハエ」を想像する
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
【読売社説】終戦の日 静謐な追悼の日となるように
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070814ig90.htm
【毎日社説】終戦記念日 暮らしの安全保障が必要だ
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20070815k0000m070162000c.html
【産経社説】8月15日 鎮魂と歴史の重みを思う
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/shucho/070815/shc070815000.htm
【日経社説】戦争の歴史を忘れずアジアと友人で(8/15)
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20070814AS1K1300114082007.html
主要紙の社説欄では通常は一日に2つの社説を載せるのでありますが、メディアが強く主張したい論があるときには社説欄をタイトルを一本に絞って長文の社説を掲載することがままあるのであります。
何が力がこもっているかと言えば、【日経社説】を除く4紙が本日は社説を一本に絞ってきたのであります。
朝日以外の社説の主張のポイントを紹介しておきましょう。
靖国A級戦犯合祀に反対の立場から、【読売社説】は「A級戦犯」を分祀せよと主張しています。
こうした経緯を考えれば、靖国神社が天皇参拝を復活させようと望むなら「A級戦犯」を分祀するしかあるまい。
しかし、靖国神社が神道の教学上、どうしても分祀はできないということであれば、それも宗教法人としての固有の選択である。その選択に政府が関与することは、憲法の政教分離の原則に違反することにもなろう。
ただ、そうした靖国のあり方は、新たな国立追悼施設の建立、あるいは千鳥ヶ淵戦没者墓苑の拡充などについての議論の広がりを避けがたいものにすることになるのではないか。
【毎日社説】ではまず米国追従の安倍外交を批判します。
しかし、米国もイラクの泥沼に足をとられ、ポスト冷戦の世界戦略を持っていないことを露呈しつつある。北朝鮮を6カ国協議に引き戻す過程では、日本との亀裂も明らかになった。そうした米国にすがるだけの安全保障政策でよいのだろうか。
そして「戦後レジームからの脱却」という観念的なことばではなくて「普通の人の暮らしの安全・安心」を重視すべきと結んでいます。
いま、世界のどの国でも、グローバリズムの荒々しい力と、普通の人の暮らしの安全・安心をどう調整するかが問われている。潮流に乗り遅れても、逆に人々の暮らしを守り損なっても政権は失格の烙印(らくいん)を押される。
首相は理念を先行させ過ぎた。「愛国心」や「伝統」を憲法に書き込めば、それで立派な国ができると錯覚したのではないか。「国のかたち」への過剰な思い入れを捨て、「民の現実」を優先しなければならない。
一方【産経社説】においては、産経らしく「特攻隊員33人の遺稿集」を引用しながら「下院本会議での慰安婦決議採択」など最近の日米関係の「不適切な出来事」をまず憂いています。
6カ国協議における米国の北への際限ない妥協は、日本には背信行為も同然に映る。下院本会議での慰安婦決議採択と久間章生前防衛相の原爆投下「しょうがない」発言という相次ぐ不適切な出来事は、機微に触れるがゆえに、結果的に多くの日本人の心の奥深くに米国への失望と不信を生んだ。
その上でしかし日米関係は何よりも重要でありより深化していくべきとします。
しかし重要なことは、それら紆余(うよ)曲折を双方がともあれ克服して今日があるという点である。一夜にして同盟が破棄され、友人が敵となることもあり得るだけに、この事実は重い。
同時に日米同盟は、いまやアジアひいては世界の平和と安定の礎たる国際公共財としての役割も求められ始めている。その維持と向上には当然ながら日本も責任の一端を負っている。
最後に【日経社説】ですが経済重視のメディアらしく、社説冒頭からアジア重視を訴えています。
戦没者を追悼し、平和への誓いを新たにする「終戦記念日」は日本人にとって、お盆とも重なり特別な日だ。だが、8月15日はアジア諸国などでは必ずしも終戦の日ではない。62年前に終わった戦争を巡る歴史認識には隔たりがあることを踏まえつつ、アジアや世界と向き合いたい。
社説の結語。
戦争がいつ始まり、いつ終わったかを含め国家間に認識のずれがあるのは当然かもしれない。アジア諸国・地域と真の友人になるためにも戦争の歴史を忘れてはならない。
「アジア諸国・地域と真の友人に」なるべしとは、中国重視の経団連のコメントと瓜二つの主張でありますね。
・・・
なんだかなあ、終戦記念日の日本の各メディアの主張がてんでバラバラなのであります(苦笑
それにしても戦後62年、本当に便利な世の中になったのでありますよね、私たちはこうしてネット上で各紙論説を比較しながら読み比べることができるのであります、まずは無料で情報提供してくれている各メディアにここは素直に感謝したいです。
ありがとうございます。(←メディア批判を繰り返してきたこのブログでメディアに感謝すること自体、めったにないことだなあ(苦笑))
・・・(汗
さて、メディア・ヲッチャーとして、不肖・木走はよく各紙社説を並べてご紹介することがありますが、その際、私が最も不快な気分になるのはどのようなケースかと申しますと、全紙の社説の論説が気持ち悪くも一方向に揃い踏みするときであります。
最近の例で言えば、2年前のホリエモン騒動の時の特にニッポン放送株買い占め問題の頃の既存メディアを挙げての醜い自己保身社説や、あるいは、昨年6月の公正取引委員会がマスメディアからの異常な圧力に屈し、新聞特殊指定の見直しの方針を撤回したときの業界挙げてのインチキ社説のオンパレード、日本のメディアが不気味に論調をそろえるときってのは、まったくろくでもない事態なのであります。
そのようなとき当ブログは猛烈にメディア批判を展開してまいりました。
上記ほどでなくとも、例えば昨年12月の道路特定財源問題で気持ち悪い日本のメディアスクラムがあったときなども、全国8000万ドライバーを無視するなと声を挙げてまいりました。
当時のエントリーを下記にご紹介しておきます(いずれも私にとり自信のエントリーなのですが賛否両論いろいろ物議もいただいたり、ほとんど話題にならず無視されたり(苦笑)、いろいろ懐かしいエントリーです、お時間があり関心がある読者には、是非お読みいただけたらブログ主として嬉しゅうございます(苦笑))
■[メディア][ホリエモン][TEXT]ホリエモン考〜最適化された秩序破壊者
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050302
■[メディア]腐臭放つ日本新聞協会の対公取勝利宣言〜日本マスメディアが自ら醜い欺瞞を永遠に刻印した日
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060603/1149310808
■[メディア]道路特定財源問題:日本のメディアスクラムにあえて反論してみる〜一般財源化するならばまず暫定税率を廃止するのが筋だ
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20061208/1165550097
スミマセン、なんか少し脱線してしまいましたが、今日の各紙社説ですが、それにしても各紙主張のバラバラ感が個人的には安堵するというか何とも嬉しいのであります。
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皮肉でも何でもなくこのような多様な論説を読み比べることができる事自体、戦後62年たち、成熟した民主主義国である日本で実現している言論の自由のありがたみを感じるのであります。
朝日から産経まで、多種多様な主張が終戦記念日に自由に各メディアに掲載されそれを私たち読者が自由意志で読み解くことができる、すばらしいことじゃないですか。
個人的には朝日の主張も産経も主張もついていけない面が多々ありますが、それは別としてそれぞれの社が独自の論説を掲げること自体は、私は全面的に肯定するものであります。
全紙の社説の論調が朝日的一色になってもあるいは逆に産経的一色になっても、私たち読者としては困るわけでして、この国は北朝鮮ではないわけですから、メディアの論説が一方向に揃うことのほうが、実は不気味で気持ち悪いことなのであります。
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62回目の終戦記念日の各紙社説でありますが、それにしても各紙主張のバラバラ感が何とも嬉しいのであります。
このような多様な論説を読み比べることができる事自体、戦後62年たち、いろいろ細かな問題は抱えながらではありましょうが、成熟した民主主義国である日本で実現している言論の自由のありがたみを感じるのであります。
そうは思いませんか、読者のみなさん。
(木走まさみず)