木走日記

場末の時事評論

「こうのとりのゆりかご」:犯罪的行為を言葉で美化してしまっていいのか?〜共生・シンビオシス"symbiosis"を実現するのは崇高だが、ために寄生・パラシティズム"parasitism"行為そのものを美化してどうする?

●「赤ちゃんポスト男児 3歳前後、運用当日 熊本」

 今日(16日)の朝日新聞紙面記事から。

赤ちゃんポスト男児 3歳前後、運用当日 熊本
2007年05月15日15時07分

 親が育てられない新生児を匿名で預かる熊本市の慈恵病院(蓮田太二理事長)の「赤ちゃんポスト」の運用が始まった10日、3歳ぐらいの男児1人が病院側に預けられていたことが15日、わかった。熊本県警は、保護責任者遺棄罪に当たるかどうかを調べている。

 ポストの保護対象は新生児を想定していたが、早くも「目的外」に利用された形で、当初からあった「安易な育児放棄を助長しかねない」との批判が再燃しそうだ。

 関係者によると、男児が預けられたのは10日で、健康状態に問題はなく、「新幹線に乗ってきた」などと話しているという。

 病院側は事実関係を認めておらず、蓮田理事長は「もし事実だとしても、そうでないとしても、医療人としてコメントできない」との談話を出した。

 同病院は昨年11月、「捨てられて命を落とす赤ちゃんや、中絶せざるを得ない母親を救いたい」として赤ちゃんポストを計画。「こうのとりのゆりかご」と名付け、今月10日から運用を始めた。

 しかし、安倍首相が「親として責任を持って産むことが大切ではないか。匿名で子どもを置いていけるものをつくるのがいいのかどうか」と慎重な見方を示すなど、育児放棄を助長しかねないという批判があり、賛否が割れていた。

 今回、3歳ぐらいの男児が置かれたことで、「小さな命を救う緊急避難的な措置」という想定を外れ、「捨て子」の受け皿になりかねない危険性が懸念される。

 ポストは24時間対応。同病院1階に設けられ、外壁にある扉(縦55センチ、横60センチ)を開くと保育器がある。扉が開くとアラーム音が鳴り、職員が約1分後には赤ちゃんを保護する。

 その後、病院は市、児童相談所、県警に連絡。親が名乗り出なければ「棄児」となり、児童相談所は病院に一時保護を委託。健康上必要な処置が終わると、新生児は県内3カ所の乳児院のいずれかに入る。氏名や戸籍は戸籍法に基づき、幸山政史市長が定めるという。
http://www.asahi.com/national/update/0515/TKY200705150091.html

 うーん、この問題、難しいですね、題材とするには。

 赤ちゃんを託す側の個々の個人的事情もありましょうし、病院側のおそらく中絶行為そのものに反対であるカソリックの教えに基づくのであろう「捨てられて命を落とす赤ちゃんや、中絶せざるを得ない母親を救いたい」という真摯な思いも理解できますし、育児放棄を助長しかねないという批判があり賛否が割れていることも理解しております。

 しかし、あらゆる新しい制度にはその制度を悪用してそれに寄生する巣くう輩が出てくるモノですが、初日からお父さんに連れられて「新幹線に乗ってきた」3歳児が赤ちゃんポストに預けられていたとは、まったくあきれてしまいます。

 しかしなあ、病院側は事実関係を認めておらず、蓮田理事長は「もし事実だとしても、そうでないとしても、医療人としてコメントできない」との談話を出したそうですが、これって少し不満なのであります。

 プライバシーに関わることを配慮しての発言でしょうから、個々の事例をいちいち公表しない方針なのは理解しますが、赤ちゃんポストについて国民が考えるための判断材料を提供する意味でも、子供が特定されない範囲での情報は公開してほしいですね。

 この問題を真剣に議論する上での最低限の情報開示を病院側にはぜひ求めたいです。

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●「こうのとりのゆりかご」というよりは「カッコウの托卵(たくらん)」がふさわしい

 本論とずれて枝葉の議論になるかもしれませんが、「赤ちゃんポスト」とか「こうのとりのゆりかご」というこの制度のネーミングはいただけませんよね。

 いかなる言い訳をこころみても明らかにこれはいわゆる「捨て子」なのであり、親は保護責任者遺棄の罪を負う可能性がある犯罪的行為なのであり、「こうのとりのゆりかご」などという優しい耳障りのいいネーミングでその卑劣な行為を美化するのはどうかと思います。

 やっていることの実態は、「こうのとりのゆりかご」というよりは「カッコウの托卵(たくらん)」がふさわしいでしょう。

托卵(たくらん)とは卵の世話を他の個体に托する動物の習性のこと。代わりの親は仮親と呼ばれる。もともとは鳥類のそれを指したが、魚類や昆虫類でも見られる。

托卵は、子の保育をする動物の中で見られる習性である。自らがそれを行うのではなく、巣作りや孵卵、食餌の世話などのコストをすべて仮親へ押し付ける戦略である。一種の寄生と言っても良い。他の種に対して行う場合を種間托卵、同種に対して行う場合を種内托卵という。

具体例としてもっともよく知られているのはカッコウカッコウ科の鳥類が他の種類の鳥の巣に自らの卵を産みつけ、孵化したヒナを代わりに育ててもらう例である。これらの鳥は仮親の巣に、親鳥がいない間に卵を産み付ける。卵からかえったひな鳥が仮親の卵や雛を巣外に捨てる行動を取るものも知られている。こうして雛は仮親から餌をもらい、成長して巣立つ。カッコウの場合は体温が常に一定ではなく、変温動物に近く体温が変化がかなりあるため、卵を温めて孵化させるのは難しい。そのため托卵を選ぶとも言える。

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%98%E5%8D%B5

 カッコウなどはオオヨシキリホオジロの巣に、親鳥がいない間に自らの卵を産みつけ、孵化したヒナを代わりに育ててもらう、托卵(たくらん)という習性を持っているのでありますが、「巣作りや孵卵、食餌の世話などのコストをすべて仮親へ押し付ける戦略」でありますが、利用される側はたまったものじゃありませんね。

 この托卵(たくらん)戦略、実にすさまじい巧みな策でして、カッコウの雛は仮親の本物の卵よりも数日早く孵化されるように計算されており、孵化したカッコウの雛の最初の仕事は自分以外の本物の卵を全て巣の外に落としてしまい巣を独占してしまうことです。

 こんなことばかりされていたら種の危機なわけで、托卵(たくらん)される側でもカッコウの卵を見分けて見つけるとすぐに巣の外に捨て落とす種も登場してきたそうですが、カッコウもさるもの、今度は托卵(たくらん)する巣の親鳥たちにあわせて模様や大きさがまちまちの卵を生み分けるようになったのであります。

 托卵(たくらん)のことを英語では"Brood parasitism"と表現しますが、直訳すればどうでしょう「ひな寄生」とでも訳せましょうか。

 確かにカッコウたちのしていることは、「卵を托す」などという穏やかな表現よりも「ひなが他種の巣に寄生する」わけですから寄生・パラシティズムそのものでありますよね。

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●どんなに崇高な制度であれ、犯罪的行為を言葉で美化してしまうのは、その行為を正当化し助長しかねない

 生物学においては寄生・パラシティズムの反対語として、共生・シンビオシス"symbiosis"という言葉が用意されています。

 共生・シンビオシスとは、ある種の異なる生物同士が互いに利益を分かち合いながら生存している相利共生を指すことが多いのですが、相利共生としては、アリと共生し、分泌物を与えるかわりに天敵から守ってもらうアブラムシが有名であります。

 で、この共生・シンビオシス"symbiosis"という単語は、生物学用語から派生して、一般用語として「共存共栄」とか「共同生活」とかを表現するときにもよく使われています。

 たしかに人間社会は誰しも相互依存しているのであり、私たちは一人きりで生きていけないのであります。

 現代社会において弱者をいたわりシンビオシス"symbiosis"な「共存共栄」をはかるためにもこの病院の試みた「赤ちゃんポスト」制度の成り行きを見守りたいです。

 しかし「こうのとりのゆりかご」というこの制度のネーミングはいただけません。

 「子を捨てる」と言う行為は、共生・シンビオシス"symbiosis"とは反対の、寄生・パラシティズム"parasitism"行為そのものだからです。

 どんなに崇高な制度であれ、犯罪的行為を言葉で美化してしまうのは、その行為を正当化し助長しかねないのであります。

 初日にわざわざお父さんに連れられて「新幹線に乗ってきた」3歳の男の子が預けられた事態をどうとらえるべきか、私はこの制度の運用の問題のひとつとして「こうのとりのゆりかご」という優しいネーミングも再検討したほうがよろしいかと思います。



(木走まさみず)