木走日記

場末の時事評論

聞かされて複雑なおもいを持った現在の硫黄島の話

kibashiri2007-05-11


 今日は最近私が海上自衛隊関係者から聞いた現在の硫黄島についての興味深い話です。
 現在の硫黄島は、海上自衛隊管理の航空基地が設置されていて、また在日米軍施設として硫黄島通信所(Iwo Jima Communication Site)というアメリカ海軍の訓練施設もあり、横須賀を事実上の母港とする空母艦載機の夜間離着陸訓練(NLP)が行われているのだそうです。

 島にはアメリカ軍関係者と自衛隊の隊員と防衛施設局職員や工事会社作業員以外民間人はいなく、一般人は立ち入りが禁止されています。

 硫黄島には港はなく、自衛隊関係の物資や人の輸送には、もっぱら航空自衛隊入間基地からC-130輸送機によって行われているそうです。

 入間基地から3時間、距離にして1200km南下したところ、東京−グアム島のほぼ中間の場所にある亜熱帯の孤島、現在は完全に日米両軍の軍関係者以外は定住者のいない島、それが今の硫黄島なのであります。

 ・・・

 太平洋戦争末期、昭和20年2月から3月にかけて行われたこの島の攻防(硫黄島の戦い)で、日本軍2万129人、米軍2万8686人の戦死傷者を出す大激戦が繰り広げられたわけですが、現在の島内の地下にも、いまだ無数の不発弾や一万柱を超える日本人兵士の遺骨が残され回収も困難な状態であるそうです。

 硫黄島はその小さな島全体が激しい戦場の史跡なのであります。

 東西8km、南北4kmのこの小さな島は、そのほとんどの場所が戦場と化したのでありまして、現在でも島のあちらこちらに当時の日本軍の地下壕や陣地跡をみることができるそうです。

 島の北部、天山台地には日本戦没将兵慰霊碑が建立されており、今でも多くの自衛隊員たちが花を供えて黙とうをしているのですが、その近くには当時の日本軍が使用していた地下壕の入り口があります。

 病院用に使われた壕や、栗林中将の司令部として使われた壕が残されているのです。

 中に入るとたちまち猛烈な熱気に包まれ、低いところでも摂氏40度以上、高いところでは60度以上だといいます。

 島の南端にある標高167mの摺鉢(すりばち)山は、太平洋戦争中の2月23日、硫黄島攻防戦においてアメリ海兵隊星条旗を掲揚した『硫黄島星条旗』(ジョー・ローゼンタール撮影)という有名な写真でも知られています。

 この摺鉢(すりばち)山山頂にも、現在では戦没者顕彰碑が建てられているそうで、各都道府県産の名石がはめ込まれているのは、全国から守備兵が集められて戦死したこと、そして全国からの慰霊の気持ちを表したものであるそうです。

 摺鉢(すりばち)山のそばに千鳥飛行場の跡があり、ここには壊れた飛行機の胴体を利用して造った陣地があり、当時のアメリカ軍の火炎放射により焼けただれ、銃身が曲がっている機関銃もいまだに残されています。

 ・・・

 終戦後、島はアメリカ合衆国の施政権のもとにおかれ、アメリカ空軍基地として核兵器保管などに用いられた経緯があります。

 硫黄島小笠原諸島と共に日本に返還されたのは昭和43年のことであります。

 ですからアメリカ海軍の硫黄島通信所(Iwo Jima Communication Site)のほうが、自衛隊よりも古参なわけですが、昔は冷房完備のアメリカ軍施設に比し自衛隊施設のほうはプレハブ小屋のような見劣りする劣悪な環境だったそうですが、現在では自衛隊施設のほうも近代的になったのだそうです。

 現在の島勤務の自衛隊員たちの数少ない楽しみのひとつには、天然サウナがあるそうです。

 火山島である硫黄島は、少し地下を掘ればすぐに地熱により天然のサウナ室になるので、そこに幕をはり隊員たちは汗をかいているのだそうです。

 60余年前、蒸し風呂のような地下壕の中で文字通り決死の防衛戦を展開して玉砕した栗林中将以下の2万の日本兵や、日本以上の死傷者を出したアメリカ軍のことを考えると、素人の私はこのサウナの話を聞いたとき、とても複雑な思いでした。

 もちろん、数少ない彼らのレジャーであるこの硫黄島天然サウナなどでいちいち目くじらをたてるなど大人気ないことでしょう。

 しかし、アメリカ軍が作ったゴルフ場がいまでも使われているという話を聞いたときには、これは考え込んでしまいました。

 なんと米軍はこの小さな硫黄島にミニゴルフ場を作り楽しんできたのだそうであり、現在も使用していると言うのです。

 在日米軍がキャンプ地内にゴルフ場や遊戯施設を作り隊員や家族のレジャー施設として使用していることは、厚木や横田や沖縄の米軍キャンプ地では見慣れた光景ではありますが、まさかこの硫黄島にまでミニゴルフ場を作っていたとは、不勉強にも私は知りませんでした。

 というか硫黄島に米軍がゴルフ場を作り楽しんでいる事実を知っている民間人はいかほどいるのでしょうか。

 ・・・

 日米地位協定のその内容はアメリカ側に有利であり、日本国民の人権が侵害されているとして、米軍基地周辺住民、特に多数置かれる沖縄などの地域の住民から内容の改定を求める声が上がっているわけですが、この硫黄島のゴルフ場の話を聞いて、私は日米地位協定の第4条を思い出しました。

 日米地位協定によれば在日米軍はその日本国内の施設をどのように利用してもよく、かつ、第4条1により、米軍が日本に施設を返還する場合、その土地を元通りに回復する義務を一切負わないのです。

 ・・・

 ・・・

 しかし、よりによっていまだ一万柱を超える日本人兵士の遺骨が地下に残されている太平洋戦争屈指の激戦の地、東西8km南北4kmのこの小さな島、硫黄島にまで、米軍がミニゴルフ場を作っていたとは・・・

 別に硫黄島にゴルフ場を作った能天気なヤンキー達をいまさら責めようなどとは思いませんが、この話を知っても何もできない自分が不甲斐なく、一人の日本人としてとても複雑なおもいを持ったのも事実なのであります。



(木走まさみず)