木走日記

場末の時事評論

今日の産経コラムの極めて不愉快な読後感

美味しんぼ2 女の華 より

 TVアニメとしても数年前に放映し大人気だった『美味しんぼ』という漫画に、「男の職人には絶対負けないんだ」と言う寿司屋の主人をしている夏子という女の話があります。
 あらすじを紹介しているサイトより該当個所をご紹介いたしましょう。

美味しんぼ2 女の華

首都圏の胃袋を支える築地の中央卸売市場を取材する山岡たち。「魚をあっちこっちから集めてくる「大卸」が七つ、「大卸」から魚を仕入れて小売商や料理屋に売る「仲卸」が1271あります」「魚は何種類ぐらいですか」「日本周辺で取れる魚は3300種類。そのうち食べられるものは600。そのほとんどが築地にきます」そこで喧嘩が発生。威勢の良い女が「仲卸」の親父をとっちめていた。その女は夏子といい、寿司屋の主人をしていた。

その店を取材する山岡たち。「夏子さん。かっこいいのね」「男の寿司職人にもそんなことを言うんですか。あんたも女のくせに女が寿司を作るのを馬鹿にしてるんだよ。だから取材にきたんだろう?俺っちは勝負を賭けているんだ。男の職人には絶対負けないんだ」ガジガシわさびをおろし威勢良く寿司を作る夏子。そこへ歌舞伎俳優で女形の名優・吉川清右衛門に若手一番の実力者・市橋菊蔵がやってくる。

夏子を見て、菊蔵は帰る、という。「女の握った寿司は生臭くて、気持ちが悪い。料理人の世界は男の世界なんだ」「菊蔵さん。料理人の世界を女がウロチョロするなというのは変ですね。あんたの母親は料理を作ってくれなかったんですか」「料理屋の料理と家庭料理は違う。料理屋の料理は芸術だよ」「女には芸術的感覚はないと言うんですか。女優はどうなるんです。芸術は歌舞伎だけなんですか」「寿司は人間の手が握るんだ。化粧くさい手で握られたら」「この五、六年おしろいも口紅もつけてねえや」「女は体温が高い」「女って冷え性なんですよ」「女が料理屋で料理できないのは、封建的な男尊女卑の考えが締め出しているに過ぎないのさ」

菊蔵は反論できない。清右衛門は別の面で夏子の寿司を非難する。「私は歌舞伎の女形です。だが私は本物の女より女の魅力を表現できる自信があります。あなたは私と正反対の男の姿をしている。しかし男の醜さしか感じない。荒々しくて、粗野で、攻撃的で、無神経。この店ではとても寿司を味わうことはできません」山岡は夏子をフランス料理に招待する。その店のシェフは長田という女性であった。

「あんた男に負けないために死に物狂いで頑張っているんだね」「どうして男に勝つとか負けるとかそんなことにこだわるんですか。私はおふくろの味のようなフランス料理を目指しているんです」「お袋の味」「夏子さん。私思うんですけど、女が男に勝つためには男の真似をしてもだめなんじゃないかしら。女と男は違うのは事実ですもの。男にない女の特権を最大限に発揮して男と同等の地位を獲得するのが本当じゃないかしら」

山岡は再び清右衛門を夏子の寿司屋に連れて行く。「いらっしゃいませ」「ほお。花か。前にはなかったが清々しいね」わさびをする夏子。「いちいち握るたびにサメ皮の下ろしで、わさびを下ろす。しかも念入りに包丁で叩いて」優雅に寿司を握る夏子。「優美な手の動き。ネタも丁寧に仕上げられている。シャリはでしゃらばずに、ネタの味を一層引き立てる。お前さん、勉強しなすったな」「ありがとうございます」

美味しんぼ第4巻「食卓の広がり(前)」 より抜粋
作:雁屋哲
画:花咲アキラ

http://www.asahi-net.or.jp/~AN4S-OKD/private/bun/man00904.htm

 興味深い話ですね。

 寿司職人という女性がまだまだ進出していない世界を通じて、一人意地を貼って男に対抗しようとしている夏子の職人として人間として成長していく話なのであります。

 作者の意図としてこの作品における「真実の語り部」役に、歌舞伎俳優で女形の名優・吉川清右衛門をすえているのも秀逸なのであります。

 「女の握った寿司は生臭くて、気持ちが悪い。料理人の世界は男の世界なんだ」と言い切る単細胞の菊蔵には、「菊蔵さん。料理人の世界を女がウロチョロするなというのは変ですね。あんたの母親は料理を作ってくれなかったんですか」、「女が料理屋で料理できないのは、封建的な男尊女卑の考えが締め出しているに過ぎないのさ」と喝破します。

 しかしながら無理して男まさりに力強く料理しようとしている夏子には、返す刀で「私は歌舞伎の女形です。だが私は本物の女より女の魅力を表現できる自信があります。あなたは私と正反対の男の姿をしている。しかし男の醜さしか感じない。荒々しくて、粗野で、攻撃的で、無神経。この店ではとても寿司を味わうことはできません」と言い切ります。

 主人公山岡は夏子をフランス料理に招待します。その店のシェフ、長田という女性に「夏子さん。私思うんですけど、女が男に勝つためには男の真似をしてもだめなんじゃないかしら。女と男は違うのは事実ですもの。男にない女の特権を最大限に発揮して男と同等の地位を獲得するのが本当じゃないかしら」と指摘され、夏子は考え方を深めていきます。

 やがて山岡は再び清右衛門を連れてきますが、そのとき職人としても人間としても精神的に成長した夏子は、清右衛門を前に優雅に寿司を握ります。

 そして清右衛門をして、「優美な手の動き。ネタも丁寧に仕上げられている。シャリはでしゃらばずに、ネタの味を一層引き立てる。お前さん、勉強しなすったな」と言わしめます。

 この作品は印象深いです。

 作者は作品を通じて「女の握った寿司は生臭くて、気持ちが悪い。料理人の世界は男の世界なんだ」という馬鹿な偏見を完全に否定していきます。

 その上でひとりの女職人が男女同等の地位を獲得する方法論について読者に考えさせる構成になっています。



●「それは、にィ。女の握ったすすなんか、ウマくないからだよ」〜産経新聞コラム【産経抄】より

 今日(26日)の産経新聞コラム【産経抄】から。

産経抄
 「なぜ、女のひとはおすしが握れないのですか」。TBSラジオの長寿番組「全国こども電話相談室」に、女の子からこんな質問が寄せられたことがある。無着成恭(むちゃくせいきょう)さんの答えは「それは、にィ。女の握ったすすなんか、ウマくないからだよ」だった。

 ▼解答者仲間だった映画評論家の荻昌弘さんによれば、「勇敢な、非常に正鵠(せいこく)を得た断定」だったが、よくよく話をきいてみると、女の子は将来、父親からすし屋を継ぐことになっている長女だったそうだ。

 ▼フランス料理の世界でも、男性優位は同じらしい。だからこそ、星の数でレストランを評価することで知られるガイドブック「ミシュラン」で、40年ぶりに女性シェフが最高位の3つ星を獲得したことが、話題を呼んでいるのだろう。

 ▼先週発表された最新版で、フランス国内に10万軒以上あるレストランから、南仏バランスにある「ピケの家」が、わずか26店のひとつに選ばれた。シェフを務めるアンヌソフィ・ピケさん(37)は祖父、父がともに3つ星シェフだった。父の死後格下げになったが、失った3つ星を実力で取り戻し、史上4人目の女性3つ星シェフとなった。

 ▼料理映画の名作といわれる『バベットの晩餐(ばんさん)会』は、デンマークの貧しい漁村にやってきたパリの名シェフだった女性が、宝くじで当たった大金を使って、村人たちに料理を振る舞い、食の喜びを分かち合う物語だった。

 ▼体力的にも過酷な仕事だが、「女には向かない職業」と決めつけてしまうこともないのだろう。すしの世界でも、ひょっとして…。三十数年前に電話をかけてきた女の子のその後が気になる。父の跡を継いで、包丁を握っているのか。それとも、腕のいいお婿さんをもらったのか。

(2007/02/26 05:20)
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/sankeisho/070226/sks070226000.htm

 「なぜ、女のひとはおすしが握れないのですか」という女の子からの問いに「それは、にィ。女の握ったすすなんか、ウマくないからだよ」無着成恭(むちゃくせいきょう)先生は答えたのだそうです。

 解答者仲間だった映画評論家の荻昌弘さんによれば「勇敢な、非常に正鵠(せいこく)を得た断定」だったそうであります。

 しかし、よくよく話をきいてみると、女の子は将来、父親からすし屋を継ぐことになっている長女だったのだそうであります。

 でコラムの結語。

 ▼体力的にも過酷な仕事だが、「女には向かない職業」と決めつけてしまうこともないのだろう。すしの世界でも、ひょっとして…。三十数年前に電話をかけてきた女の子のその後が気になる。父の跡を継いで、包丁を握っているのか。それとも、腕のいいお婿さんをもらったのか。

 「体力的にも過酷な仕事だが、「女には向かない職業」と決めつけてしまうこともないのだろう。すしの世界でも、ひょっとして…」とし、三十数年前に電話をかけてきた女の子の今に想いをめぐらせています。

 そして「父の跡を継いで、包丁を握っているのか。それとも、腕のいいお婿さんをもらったのか」とコラムを結んでいます。

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 なんだろうこの極めて不愉快な読後感は・・・

 冒頭の無着成恭(むちゃくせいきょう)先生の話も三十年以上の昔の話ですし、そもそもこのコラム自体は「「女には向かない職業」と決めつけてしまうこともないのだろう」としているわけですが、コラム全体を包む「男尊女卑」的な不愉快な傲慢さはなんなのでしょう。

 ひとつには冒頭の乱暴な発言の引用の仕方にありましょう。

 「なぜ、女のひとはおすしが握れないのですか」という女の子からの素朴な質問に対し「それは、にィ。女の握ったすすなんか、ウマくないからだよ」との答えがあり、それに対し「勇敢な、非常に正鵠(せいこく)を得た断定」という評価を紹介します。

 しかし、なぜ「女の握った寿司なんか、ウマくない」のか、なぜその乱暴な回答が「勇敢な、非常に正鵠(せいこく)を得た断定」だといえるのか、「女の握った寿司がウマくない」理由もその回答が「非常に正鵠(せいこく)を得た断定」である根拠も、このコラムでは一切明らかにしていないのであります。

 いかにコラムの結びで「「女には向かない職業」と決めつけてしまうこともないのだろう」とフォローしても、コラム全体では冒頭で男尊女卑的な強烈な引用を無批判に展開しているために、実は産経抄氏は寿司職人は「女には向かない職業」であると内心は肯定しているのではないのか、という疑問が払拭できないのです。

 さらにこのコラムの後味が悪い二つ目は、これもコラム全体に漂うのですが、産経抄氏のその目線の尊大さにあります。

 フランス料理の世界でも、男性優位であると指摘した上で、寿司の世界も「体力的にも過酷な仕事だが、「女には向かない職業」と決めつけてしまうこともないのだろう」と展開していきます。

 「決めつけてしまうこともないのだろう」とは誰に言っているのか。

 「女の握ったすすなんか、ウマくない」と言った無着先生に対してか、「非常に正鵠(せいこく)を得た断定」と無着発言を評価した映画評論家の荻昌弘氏に対してか、それともこのコラムを読んでいる一般読者に対してか?

 理由も明示しないで「女の握った寿司はウマくない」「非常に正鵠(せいこく)を得た断定」と言ったかなり乱暴な発言を引用しておいて、「決めつけてしまうこともないのだろう」はないでしょう。

 もしかして寿司職人は「女には向かない職業」と決めつけているのは、他ならぬこのコラムの作者自身ではないのか?

 このような疑問が払拭できないのです。

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 なんだろうこの極めて不愉快な読後感は・・・

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 少なくても私には極めて不愉快な読後感をもたらした今日の産経コラムなのでした。

 読者のみなさまはどう感じられましたでしょうか。



(木走まさみず)