"a thousand winds"「千の風になって」考
ウィークエンドですし、たまには優しい気分でエントリーしてみました。
読者のみなさまもこのエントリーは優しい気持ちで読んでくださいな。
いつもの調子で意地悪な「リテラシー」はしないようにね(苦笑
●「千の風になって」クラシック系のアーティストで初めてオリコン首位〜朝日新聞
15日の朝日新聞記事から・・・
「千の風になって」オリコン首位 紅白出場効果か
2007年01月16日
昨年大みそかのNHK紅白歌合戦で歌われたテノール歌手秋川雅史さんの「千の風になって」が、15日発表された22日付オリコンのシングルチャートで首位になった。クラシック系のアーティストがシングル首位となったのは初めてという。この曲は昨年5月発売で、オリコンによると半月後に168位でチャートに初登場。秋川さんの紅白出場決定後にトップ100、紅白放送後の先週にトップ10入りと順位を上げていた。
作家の新井満さんが作者不詳の英語詩を訳し、曲をつけたものを、秋川さんがカバーした。03年に発売された新井さんのオリジナルも、22日付のオリコンチャートで24位で、先週の61位から大きく上昇した。
ふーん、「昨年大みそかのNHK紅白歌合戦で歌われたテノール歌手秋川雅史さんの「千の風になって」が、15日発表された22日付オリコンのシングルチャートで首位になった。クラシック系のアーティストがシングル首位となったのは初めて」なのだそうです。
音楽にはまったく疎い不肖・木走オヤジでありますが、「クラシック系のアーティストがシングル首位となったのは初めて」だそうでありまして、「作家の新井満さんが作者不詳の英語詩を訳し、曲をつけたもの」というのも興味深いですね。
今日はこの「千の風になって」に関してあれこれ考察してみたいと思いました。
●死をどうやって受け止めたらいいのか、この歌は、その方向性を示してくれる存在。〜東京新聞の記名芸能記事
昨日(19日)の東京新聞の記名芸能記事から・・・
英語原詩で作者不詳『千の風になって』
喪失の悲しみ癒やす♪私のお墓の前で 泣かないでください−。作者不詳の英語原詩を基にした「千の風になって」という歌が、大ブームを巻き起こしている。昨年大みそかのNHK「第57回紅白歌合戦」で、テノール歌手・秋川雅史が歌ったのが弾みとなって、オリコン週間シングルチャート(22日付)で一位に躍り出るなど、知名度は全国に広がった。亡くなった人が、残された人に向けて語り掛けるかのようなこの歌が、なぜ人々の心をつかんだのか。 (山田晴子)
秋川が歌う「千の風になって」は、紅白効果を追い風に、年明けのオリコン週間シングルチャート(15日付)で三十一位から一気に四位に浮上、今回、一位を記録することが確定した。クラシック系アーティストの首位獲得は史上初の快挙。秋川は「曲全体が広がって大きくなっているところに自分が引っ張られていく感じ。これからも多くの人の心に届くように大切に歌っていきたい」と語る。
東京・新宿の歌声喫茶「ともしび」では、昨年二月から十一カ月連続、トップリクエスト曲に君臨している人気ぶりだ。常連客の笹口健さん(66)=世田谷区=は「死ということを前向きにとらえているところが詞の魅力」、藤吉恵子さん(61)=東京都八王子市=も「十一年前に夫を亡くした。この曲に励まされ、(亡くなった夫を)千の風になったのかなって思うようになった」と話す。
もともと、この楽曲の誕生は、芥川賞作家でシンガー・ソングライターの新井満さんが、知人の死をきっかけに「千の風になって」の英語原詩で作者不詳の「A Thousand Winds」に感銘を受けたことから始まった。六年前、この詩を日本語詞に意訳してメロディーを付け、私家版としてCDを三十枚作成、友人らに送った。
二〇〇三年、この話が新聞で紹介されると問い合わせが殺到、シングルCDと詩集が同時に発売されるに至った。
「最初に作った三十枚のCDを配り歩いて、無くなった瞬間に(この曲は)忘れられてしまう運命だと思っていた」と振り返る新井さん。そんな思いをかき消すかのように吹き渡る「千の風になって」ブームには驚きを隠さない。
原詩については「死ぬということは風に生まれ変わることだったんだ、星に生まれ変わることだったんだ、遠くに行ったわけではなくて、再生してあなたのすぐ近くにいるっていうことを、初めて伝えてくれたポエム」と解説し、「死生観を根底から覆した、これまでにない歌に出合い、感銘を受けた人が続出しているのでは」と分析する。
さらに「大切なあの人が、死んでもなお私のすぐそばにいてくれるんだと分かったときの安堵(あんど)感を運んでくれるから、喪失の悲しみが癒やされるのだと思う。葬儀場でもよく流れているようです」。
原詩も、世界中で読み継がれてきた。米中枢同時テロで亡くなった十一歳の少女の一周忌で朗読され、IRA(アイルランド共和軍)のテロで命を落とした二十四歳の青年が「私が死んだときに開封してください」と両親に託した手紙の中にも、この詩が入っていた。
昨年十一月にはNHKの衛星ハイビジョンで、詩が広く知れ渡った軌跡などをたどる「千の風になって」の特集が放送された(12月にNHK総合でも放送)。番組では、女優の木村多江をナビゲーターに、世界中の人々が「千の風になって」を通じて、身近な人の死をどう受け止めてきたのかを、詩の朗読や曲を合間に流しながら紹介。電話などで寄せられた感想が千件を超える反響だったという。NHKは二十五日、衛星ハイビジョンで午前十時から再放送する。
番組担当の山本展也チーフプロデューサーは「死をどうやって受け止めたらいいのか、この歌は、その方向性を示してくれる存在。この歌を求めている人たちがまだまだたくさんいると思う」とブームのさらなる広がりを予測している。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/hog/20070119/mng_____hog_____000.shtml
NHKの山本展也チーフプロデューサーによれば、「死をどうやって受け止めたらいいのか、この歌は、その方向性を示してくれる存在。この歌を求めている人たちがまだまだたくさんいると思う」と、ブームのさらなる広がりを予測しているのです。
うーむ、なるほど、「原詩も、世界中で読み継がれてきた。米中枢同時テロで亡くなった十一歳の少女の一周忌で朗読され、IRA(アイルランド共和軍)のテロで命を落とした二十四歳の青年が「私が死んだときに開封してください」と両親に託した手紙の中にも、この詩が入っていた」のだそうです。
あと微笑ましかったのが、「東京・新宿の歌声喫茶「ともしび」では、昨年二月から十一カ月連続、トップリクエスト曲に君臨している人気ぶり」だったのですね。
しかし、歌声喫茶ってまだあったんですねえ(爆笑)
・・・
●素晴らしい原詩"A Thousand Winds"と作家・柳田邦男氏の美しい原詩の訳詩
で、ネットで少し調べたら以下の歌声サークルサイトで「千の風になって」の歌詞・楽譜、英語原詩で作者不詳の「A Thousand Winds」が掲載されていました。
midiでメロディを聞くこともできます。
歌声サークル「おけら」
http://bunbun.boo.jp/sub4_index.htm
失礼して、日本語歌詞の一番を抜粋。
1
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
たしかにすばらしいメロディにのせられてなかなか癒される歌詞ですね。
さすが芥川賞作家の新井満さんの訳詩であります。
で、英語の原詩。
Do not stand at my grave and weep.
I am not there, I do not sleep.I am a thousand winds that blow.
I am the diamond glints on snow.
I am the sunlight on ripened grain.
I am the gentle autumn’s rain.When you awake in the morning hush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds encircling flight.
I am the soft starshine at night.Do not stand at my grave and cry.
I am not there; I did not die.
いやこの原詩ですが、素晴らしいですね。
"weep"と"sleep"、"blow"と"snow"、"grain"と"rain"、"hush"と"rush"、"flight"と"night"、"cry"と最後の"die"、英文詩らしく各センテンスが韻をきれいに踏んでいますから、かろやかに声に出して読みたくなります。
詩の構成も素晴らしいです、文頭の"Do not stand at my grave and weep"(私の墓石の前に立って涙を流さないでください)から、"I am"、"I am"をすべて現在形で連呼していくことによって、見事に「亡くなった人」の「実在」を力強く、しかし優しく表現していきます。
そして唯一の過去形が詩の最後に出てくる"I did not die"(私は死んではなかったのです)です。
今「実在」している魂が"Do not stand"(私の墓石の前に立って涙を流さないでくださいな)と残された人たちに対し現在形で優しく呼びかける、そして最後に"did not die"(私はね、死んではなかったのですよ)と過去形の否定文を置くことで、故人の死を悲しむ残された人々に過去の悲しみを断ち切るように促しているのです。
・・・
私は文学者ではありませんが、この原詩のよさを失わないように、日本語に訳詩された芥川賞作家の新井満さんのご苦労と努力は賞賛に値しますです。
少し調べてみたら、作家の柳田邦男氏が知人の父親の葬儀に宛てたメッセージで、この原詩に美しい日本語で訳詩しております。
ネットで公開されていますので失礼してご紹介。
御父上様の御冥福を、はるか東京の地にてお祈り申し上げつつ、外国の一篇の詩をお届けしたく存じます。
2003年5月26日 作家、 柳田 邦男
1000の風 あとに残された人へ
私の墓石の前に立って
涙を流さないでください。
私はそこにいません。
眠ってなんかいません。1000の風になって
吹き抜けています。
私はダイヤモンドのように
雪の上で輝いています。
私は陽の光になって
熟した穀物にふりそそいでいます。
秋には
やさしい雨になります。朝の静けさのなかで
あなたが目ざめるとき
私はすばやい流れとなって
駆けあがり
鳥たちを
空でくるくる舞わせています。
夜には星になり、
私は、そっと光っています。どうか、その墓石の前で
泣かないでください。
私はそこにいません。
私は死んでいないのです。
美しい訳詩ですね。
・・・
●素晴らしい原詩"A Thousand Winds"のなぞ〜原作者不明が残念
さてこの作者不詳の「A Thousand Winds」という英語原詩ですが、この素晴らしい詩の作者が不明とはとても残念なことだと思いました。
この詩には興味深い特徴があります。
Do not stand at my grave and weep.
I am not there, I do not sleep.私の墓石の前に立って
涙を流さないでください。
私はそこにいません。
眠ってなんかいません。(柳田邦男訳より)
この導入部分ですが、欧米の宗教観から見ても反発を受けかねない斬新な切り口なのですよね。
キリスト教徒でも墓石の前に花を手向け亡き人に祈りを捧げる慣習は広く普及しているわけです。
"I am not there, I do not sleep."(私はそこにいません。眠ってなんかいません。)とは、どのような背景からこの欧米人と予想される作者が思いつきそして詩として生まれたフレーズなのか、とても興味深いことなのです。
あと、全編を通じてこの詩に明確に登場する季節を示す単語はなぜか「秋」だけです。
I am the gentle autumn’s rain.
秋には
やさしい雨になります。(柳田邦男訳より)
ここもふたつの意味で興味深いです。
なぜ秋だけが"autumn’s"と明示されたのか、そしてアメリカ人なら"Fall"を使用するだろうにあえて"autumn’s"を使用したのかなぜなのか、作者はアメリカ人ではなくイギリス系英語圏の人なのかも、とも考えられるわけです。
・・・
●素晴らしい原詩"A Thousand Winds"の感動的な誕生秘話〜原作者と有力視されてるメアリー・フライ(Mary Frye)というアメリカ人女性の感動的なエピソード
少しネットで調べたら上記の謎は解消できました。
オーママミア Quinn様が丁寧に"A Thousand Winds"の原作者について調査しわかりやすいまとめサイトを作られていました。
「千の風になって」の詩の原作者について
執筆:オーママミア Quinn
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/prof/1000winds.html
「「千の風になって」の詩の原作者について」の冒頭文を失礼して抜粋。
こちらの掲示板でたびたび話題となった『千の風になって(Do not stand at my grave and weep)』の原作者についてまとめてみました。結論から言うと、原作者はメアリー・フライ(Mary Frye)というアメリカ人女性です。
そしてこれが、彼女の生まれて始めての作詩でした。
各国で行われる戦争記念日、慰霊祭では、必ずといってよいほどこの詩が登場し、遺族の心を和らげています。しかし、あまりに有名な詩にもかかわらず、原作者については、つい最近まで知られることなく過ぎてきました。この詩人が市井の人を貫いたため、資料が少なかったのがその理由だと思われます。比較的まとまっている英文資料から、一部抜粋して訳してみました。ご参考となれば幸甚です。
なるほど、詳しくはあちらをお読みいただくとして、原作者はメアリー・フライ(Mary Frye)というアメリカ人女性だったのだそうです。
感動的なのはこの詩の誕生秘話です。
メアリーの地元ラジオ局でのインタビューより
メアリー・フライは家庭的で、常識があり快活な94歳のようだ。
これはメアリーが自身の言葉で語った親友マーガレット・シュワルツコフ(Margaret Schwarzkopf)の事である。
時は1932年に遡る──「そうね、マーガレット(ドイツ系ユダヤ人)はドイツから来たの。ちょうどヒットラーが政権を取ってね、お母様も国外に出たかったんだけど、老齢の上、具合も悪くて来れなかったのよ。彼女はそれこそ何時もお母様の事を心配していたわ。何しろ全然手紙が来ないのよ、だから日ごとに心配を募らせていたわ。
私たち大使館を通してできる限りのことをしたわ。わかるでしょ? その手の事って。ようやく事が判明したんだけど、お母様は亡くなってたの。それで、マーガレットは実際に神経衰弱を患ってただ泣くばかり。毎日、毎日泣き暮らしていたわ。ある日一緒に買い物に出たの、茶色の紙袋に買ったものを入れて、家のキッチンテーブルで仕分けをしていたのよ。そしたらね、何だか分からないけど、私の買ったものを見てマーガレットが泣き出したの。「それ、私の母が好きだったの。」ってね。
「マーガレット、お願いだから泣かないで。」っていったの。そうしたらマーガレットがね、「何が一番悲しいかって、私は母の墓標の前に立ってさよならを告げる事も出来ないのよ( I never had the chance to stand at my mother's grave and say goodbye.)。」涙に目をぬらしたまま、2階の自室にひきこもったわ。
(注;ドイツの情勢が反ユダヤ人に向かっており、帰れる状況ではなかった。)その時メアリーの手には、買物を点検するためのペンが握られていた。メアリーは、引きちぎった茶色の買物袋に、一息に込み上げる詩を書き付けた。
しばらくして、落ち着きを取り戻したマーガレットが階下に下りてきたとき、メアリーはマーガレットに紙切れを差し出した。「これ、私が書いた詩なの。私の思う〝人の生と死のあり方〟なの。あなたのためになるかどうか分からないけど。」
マーガレットは詩を一読し、メアリーを抱きしめて言った。「私この詩を一生大切にするわ。」そして、もう泣く事は無かった。
・・・
感動しました。
ナチスに追われてアメリカに来た友人マーガレット(ドイツ系ユダヤ人)が、「何が一番悲しいかって、私は母の墓標の前に立ってさよならを告げる事も出来ないのよ( I never had the chance to stand at my mother's grave and say goodbye.)。」という悲痛な叫びに対する、"A Thousand Winds"は優しいアンサー詩だったのですね。
Do not stand at my grave and weep.
I am not there, I do not sleep.私の墓石の前に立って
涙を流さないでください。
私はそこにいません。
眠ってなんかいません。(柳田邦男訳より)
この冒頭の入り方は「母の墓標の前に立ってさよならを告げる事も出来ない」マーガレットの悲しみを癒すために生まれたのですね。
1932年にメアリーが書いたオリジナルバージョンとオーママミア様の訳詩も失礼してご紹介です。
1932年にメアリーが書いたオリジナルバージョン
Do not stand at my greave and weep
Words by Mary FryeDo not stand at my grave and weep
I am not there, I do not sleep
I am in a thousand winds that blow
I am the softly falling snow
I am the gentle showers of rain
I am the fields of ripening grain
I am in the morning hush
I am in the graceful rush
Of beautiful birds in circling flight
I am the starshine of the night
I am in the flowers that bloom
I am in a quiet room
I am in the birds that sing
I am in the each lovely thing
Do not stand at my grave and cry
I am not there I do not die千の風になって
オーママミア訳詞(文才無くてすみません m(_ _)m )私の墓標の前で泣かないで
私はそこにいないのだから 私は眠ってなんかいない
私は千の風になって渡ってゆく
私はやわらかく 舞い降りる雪
私は優しく降り注ぐ雨
私は野に実る穂
私は朝の静寂の中に
私は水辺にたなびく灯心草
空を旋回する美しい鳥たちとともに私は夜空の星の光
私は咲き誇る花たちとともに
私は静かな部屋の中に
私は歌う鳥たちとともに
私は全ての素晴らしいものとともにあるの
だから、私の墓標の前でなかないで
私はそこにいないの 私は死んではいないのだから
そうか原詩では季節を示す言葉は一箇所もないのですね。
・・・
すべて納得であります。
●"a thousand winds"その優しい原詩の持つ気品を大切にしたい
"a thousand winds"ですが、世界中でいろいろなバージョンが広まっているようですが、私としてはやはり、1932年にメアリーが書いたオリジナルバージョンが一番しっくりきます。
かろやかに韻を踏みながら、"Do not stand"から"do not die"までの現在形を中心にした素晴らしい構成も、当たり前ですがすべてこのオリジナルバージョンで見て取れます。
・・・
実は、英語の"thousand"の持つ響きとその意味合いを忠実に日本語訳することは本当はとても難しいことだと私は思っています。
英語の数字の単位は4桁づつ付けられている東洋(万、億、兆、京・・・)と違い、3桁づつ単位が付けられている(thousand、million、billion・・・)わけですが、"thousand"だけは特別な品格と意味を持っています。
million、billionなどは、ラテン語系なので複数形(millions、billions)を持ちますが、thousandだけ(正確にはhundredもですが)は古代ゲルマン語系なので複数形を持たないという文法的な特別な存在であるだけではありません。
"thousand"だけが持つ特別な品格と意味とは、日本語の「万」の使い方と近いもののようですね。
興味のある人は以下の電子語源辞典のページを参照あれ(英語なので注意)。
ONLINE ETYMOROGY DICTIONARY
http://www.etymonline.com/index.php?search=thousand&searchmode=none
"a thousand winds"ですが、この場合のその意味するところは、日本語の「万」の使い方、「万人(ばんにん)」とか「万策(ばんさく)」 「万国(ばんこく)」と同じで、「すべての」と言う意味をある気品を持って表現しているのですよね。
"a thousand winds"は日本語にすれば「幾千(いくせん)の風」が近いのかも知れませんが、それとも少し違うのです。
文法的な正確な言い回しは私はできませんが"a thousand"の単冠詞"a"がなんともおしゃれなんですよね。
その意味では原文の持つ品格を保つため、「千の風になって」と単に「千」と訳した芥川賞作家の新井満さんは素晴らしいと思います。
「千の風になって」
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
・・・
本当に素晴らしい詩ですね。
長文失礼しました。
<追記>2007・01・20 22:15
2007年1月19日〜2007年2月28日の期間限定ですが、ヤフー動画にて、秋川雅史さんの「千の風になって」が、フルコーラスでビデオクリップで無料で楽しめますよ。
まだ、曲を聴いてない人は是非お楽しみください。(CM二本付きですが無料なので我慢しれ(苦笑))
■昨年の紅白歌合戦で大反響! 秋川雅史「千の風になって」ビデオクリップをフル配信。
http://streaming.yahoo.co.jp/p/t/00153/v00898/
本当に素晴らしい歌声と曲ですね。
(木走まさみず)