木走日記

場末の時事評論

戦略経営組織論「ライン・スタッフ理論」から「防衛費」を考えてみる〜軍隊は国家の国富の向上には貢献しない純粋なスタッフ部門

●国防計画まで「自主」中毒に冒されてはならない 〜朝鮮日報社説

 12日の朝鮮日報社説から・・・

【社説】国防計画まで「自主」中毒に冒されてはならない

 韓国国防部は2007年から2011年までの5年間に、総額151兆ウォン(約18兆円)に上る国防費を投じて、「自主的戦争抑止戦力」と「潜在的脅威に備えた戦略的拒否戦力」を確保するという国防中期計画を発表した。

 この計画について国民の立場としては、今後投入される予算の額も問題だが、その予算を投入する名分として提示された「自主的戦争抑止能力」と「戦略的拒否戦力」という単語の意味からして不明りょうな点が問題だ。

 また、現在の世界で国防費増額の名分として「自主」を掲げる国がいくつあるというのだろうか。1年間に数千億ドルの国防費を投入する世界の覇権国家・米国ですら、テロから自国の安全を守る戦略上、同盟国に頼らなければならないのが最近の世界情勢だ。

 韓国は世界最大の国防費で世界最高の戦力を維持している米国や、世界第2位の国防費を投入している日本、未来の地域覇権国家を目指して海上・航空・宇宙戦力にまで国防の概念を拡大しつつある中国、そして伝統的な軍事大国ロシアに囲まれている。こうした地政学的条件を考慮すれば、韓国が財布の中身をすべてはたいたとしても、自主国防を達成することは困難と言わざるを得ない。

 国防部の計画をそのまま実行に移した場合、国防予算は毎年9.9%ずつ増加し、2011年には36兆ウォンに達する。今年の国防予算は22兆5000億ウォンであったことを考えれば、5年間で60%も増額される計算になる。国防部は2020年までに683兆ウォンを投入する「2020国防計画」という長期計画も策定しているが、韓国経済と国民がこのような巨額の税負担に耐えられるのだろうか。

 これまでの国防予算の増加率は2002年に6.3%、2003年には7.0%だった。ところが、盧武鉉ノ・ムヒョン)大統領が光復節(日本の植民地支配から解放された日)の祝辞で「自主国防論」を掲げた翌年の2004年には8.1%に跳ね上がり、2005年には11%に達した。早期警戒機4機を配備するのに1兆5000億ウォンを要し、イージス艦3隻の配備に3兆ウォンが必要になる。40機を配備することにした戦闘機F-15Kも1機当り1000億ウォンもする。

 さらに問題なのは、巨額の予算を投入したからといって自主国防が達成されるわけではない点だ。国防部も「韓半島朝鮮半島)と周辺地域に対する独自の情報収集能力」が戦争抑止力の核になると語った。しかし、米偵察衛星の解像度が最少10cmなのに対し、韓国のアリラン1号衛星は縦横6.6メートル以上の物体でなければ識別することはできない。北朝鮮のミサイル発射も、韓国は米国の通報があって初めて知ることができる立場だ。しかし、米国との同盟は今や形式だけを残して、壊れるだけ壊れてしまった状態だ。

 韓国が過去40年間に高度経済成長を達成できたのは、韓米同盟という堅固な安全保障の枠内で経済成長に専念できたおかげだ。盧武鉉政権が韓米同盟を自主国防という偏った視点から眺め続ける限り、経済と国防の未来は険しくならざるを得ないだろう。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/07/12/20060712000059.html

 しかし北朝鮮ミサイル連続発射以来の盧武鉉ノ・ムヒョン)政権の迷走ぶりは当ブログで何回も取り上げて参りましたが、この韓国の無謀な「自主国防政策」はどうでしょう。

 国防部の計画をそのまま実行に移した場合、国防予算は毎年9.9%ずつ増加し、2011年には36兆ウォンに達する。今年の国防予算は22兆5000億ウォンであったことを考えれば、5年間で60%も増額される計算になる。国防部は2020年までに683兆ウォンを投入する「2020国防計画」という長期計画も策定しているが、韓国経済と国民がこのような巨額の税負担に耐えられるのだろうか。

 在韓米軍との関係を見直し巨額の税金を投入して「自主国防」を目指す盧武鉉政権でありますが、今のこのときに「自主国防」を加速するのは、これは外交的にも愚策であるとこの社説は批判していますが、経済力以上の負荷を国民に負わせてまでも軍備増強に走るとは経済政策的にもおおいに疑問なのであります。

 日本政府としてはこの韓国政府の愚策を「他山の石」として教訓を得るべきです。



●興味深かった「ライン・スタッフ理論」

 昨日はある地方自治体主催の中小企業経営者セミナーに講師として参加していました。
 私自身ITコンサル零細企業の経営者であり工学系学校の講師をしている関係もありよくこの種のセミナーにお呼びいただくことがあります。

 で、昨日のセミナーで私のつたない講義(「中小企業経営戦略に応えるIT活用の先進的事例」)の後に講義された、経営評論家の方の講義がとても興味深かったです。

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 その方の講義内容は、「ライン・スタッフ理論」を今一度この21世紀の日本企業における経営論として見直そうという主旨のものでした。

 戦略経営組織論にライン系列とスタッフ系列に分ける組織の概念論「ライン・スタッフ理論」があります。

 ライン系列とスタッフ系列に分ける組織の概念は、軍隊の組織にその起源を持っているとされております。

 プロシア軍における参謀制度を参考にしたといわれる、古典的組織論における「ライン・スタッフ理論」では、組織にとって第一義的な業務の遂行を任務とするのが「ライン」であり、ライン系統組織の管理者に助言・勧告を行なうことを専らの任務とし、決して自ら命令し決裁する権限を持つべきでないとされるのが「スタッフ」であります。

 今日的戦略経営組織論においては、「売上げ」を得るために企業が目的とする業務を直接担当する部門を「ライン」とし、「ライン」の業務を支援、管理する直接「売上げ」には貢献しない部門を「スタッフ」とする考え方が主流のようです。

 平たく部署わけすれば、ラインには営業、購買、生産、物流などの部門が、スタッフには経理、総務、人事、研究開発、情報システムなどの部門があります。

 自動車製造工場で置き換えれば、日々製造ラインを動かして商品である自動車を組み立て製造している工員達はまさに「ライン」であり、それ以外の商品製造に関わらない、工員たちの労働管理や給与計算をする経理・総務・人事課の職員、工員食堂職員、受付ガードマン、はては全体の管理責任者である工場長などは全て「スタッフ」となります。

 売上げ至上主義でこの「ライン・スタッフ理論」を語れば、売上げ貢献する「ライン」部門をでき得るだけ強化し、売上げ貢献しない「スタッフ」部門はできるだけ小さくすることが理想とされます。

 極論すれば「スタッフ」など1名もいなければ理想的な生産性の高い「ライン」会社が実現するわけです。

 もちろん現実には「スタッフ」部門の無い会社は皆無であります(なにせスタッフ部門の最たるものが「社長」をはじめとする経営陣ですから(苦笑))が、直接売上げには貢献しない「スタッフ」部門に無駄な頭数(人件費)を割いている会社は問題があるとされます。

 極端な例ですが地方の中小企業には同族会社が多いのですが、多くの同族会社が会社は恒常的に赤字にも関わらず、経理上無理のあると思われる異様に高い役員報酬が目に付く会社が多いと、その評論家は指摘していました。

 このようなケースは、ライン系列とスタッフ系列の配分のバランスが欠いている、スタッフ系列内での予算の有効配置がなされていない、2重の意味で組織の成長への足かせになっているのだと、同族会社特有の異様に高い役員報酬を批判していました。

 もちろん、実際の企業経営においてはライン部門の生産性を高めるための最低限の支援部門は必要不可欠でありますし、研究開発部門など将来の売上げに貢献するであろう「スタッフ」部門も経営戦略上軽んじることはできませんから、ここは企業規模に応じたバランス良い予算配置がライン部門とスタッフ部門に適正に配分されることが求められています。

 で、この「ライン・スタッフ理論」ですが、今詳述したようにその思想はあくまでもモノをつくり売上げを立てる「ライン」こそが本流であり「スタッフ」は「ライン」を補助し支援するサブ部門にすぎないとされている点であります。

 私の後で講義した評論家は、21世紀の日本企業はモノ造りの原点回帰の時を迎えており今こそ「ライン・スタッフ理論」を見直してその企業の実業の価値を高めるべきである、というような話をしておりました。

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 興味深い話ですね。

 考えてみればこれは当たり前の話でありまして、なにも企業だけでなく、家庭においても収入をもたらす「ライン」的存在(お父さんであれお母さんであれ)と家庭内をうまく調整しラインを補助する「スタッフ」的存在がバランスよく必要なわけです。

 またプロ野球球団などでいえば、当然選手たちが「ライン」(収入を生み出す)であり、それをサポートする監督やコーチ、あるいはトレーナーやマネージャーやスカウトなど裏方職員たち、そして経営陣などは「スタッフ」なわけですね。

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●軍隊は国家の国富の向上には貢献しない純粋なスタッフ部門〜防衛力はその経済力に見合ったしかし抑止力の伴う最低ラインで推移させるのがベスト

 少し拡大して考えればこの「ライン・スタッフ理論」は、国家という単位でも当てはめて考える事ができそうです。

 国家の「ライン」としては、当然ですが国家の収入を支える納税者たる、国民・企業達と見なせましょう。

 一方税収入には一切貢献しないが、「納税者たち」(その家族や元納税者も含むでしょう)を補助しサポートする「スタッフ」には行政や公務員がその役割となりましょう。

 この喩えが非情に有効だと思えることは、例えば行政側が納税者に提供する多くのサービスが売上げ(税収)貢献とは全く関わりのないがしかし国家の根幹を支える非営利の支援であることです。

 9年間の無償義務教育を支える公的学校教育事業、国民の生活を守るための防災や治安を治める消防や警察業務、これらはまさに直接的には税収を増やす貢献は全くなく逆に税金を使うだけの無駄(?)な事業ですが、ラインである納税者を総合的に支援する「総務」や「ガードマン」のようなスタッフ的役割なのでしょう。

 今日国家予算が恒常的赤字に陥り、行政や公務員の改革が強く叫ばれているわけですが、国家に「ライン・スタッフ理論」をあてはめればまさに売上げ(税金)には貢献していない「スタッフ」部門の改革なわけです。

 それはさておき、「スタッフ」行政側の「ライン」納税者への支援には、教育・消防・治安などの事実上無償の事業から医療や福利厚生などの有償の事業までそれこそ国民生活の多岐にゆきわたっていますが、その中でも日本においてひときわ特異な存在なのが「防衛」事業でありましょう。

 消防や警察と同様に万が一に備えて国民生活を守るために存在している「防衛」なのでありますが、日本では「防衛庁」の予算に対して、「税金泥棒」でありもっと減額すべきといった厳しい評価から、国際比較しても少なすぎる、日本の経済力に見合うようもっと増額すべきといった評価まで国論は割れています。

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 先の北朝鮮ミサイル試射事件のときにも軍事アナリストなどがTVの報道番組で述べていましたが、現状の日本の防衛力が北朝鮮のミサイル攻撃に対して現状でははなはだ心許ないことが明らかになりました。

 では今後の日本の取り得るべき防衛力がどの程度の実力レベルを目標とするべきなのか、そしてそれは抑止力として実際に機能するのか、日米同盟の連携によるMD構想も含めて費用対効果が見合うのか、あるいは多少見合わなくともMD構想は選択肢のない必須策なのか、具体的なかつ冷静な議論が必要なのでしょう。

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 軍隊は国家の国富の向上には全く貢献しない純粋なスタッフ部門です。

 北朝鮮の「先軍政治」や韓国の「自主国防」政策に見られるように過度の軍備増強はライン部門である国民を圧迫し組織としての国家を疲弊するだけです。

 「ライン・スタッフ理論」に依れば、防衛力はその経済力に見合ったしかし抑止力の伴う最低ラインで推移させるのがベストです。

 その意味では過去の日米安保条約体制は日本に取り過度の軍事費支出を抑制する良策であったことは議論の余地のないところでしょう。

 これからの日本の防衛力のあり方について、今こそ具体的なかつ冷静な議論が必要なのでしょう。



(木走まさみず)