木走日記

場末の時事評論

オマージュだかなんだか知らないがパクリはパクリだっての〜不肖・木走、天下の朝日社説をオマージュし自爆ス(爆)

●盗作認定、芸術選奨取り消す 文化庁

 本日(5日)の毎日新聞電子版速報記事から・・・

絵画酷似問題:盗作認定、芸術選奨取り消す 文化庁

 芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した洋画家の和田義彦氏(66)の作品がイタリア人画家、アルベルト・スギ氏の作品と酷似している問題で、文化庁は5日午前、盗作の有無を判断する臨時審査会を開き、「盗作とみられてもやむを得ない作品があった」として授賞の取り消しを決めた。同日午後、文科省が正式発表する。賞取り消しは1950年の芸術選奨の創設以来初めて。選考のあり方も厳しく問われそうだ。

 審査会には、3月に和田氏への授賞を決めた美術部門の審査員7人のうち、3人が出席(欠席した4人のうち3人が委任状提出)。終了後に会見した文化庁芸術文化課の鬼沢佳弘課長らによると、主な授賞理由となった回顧展「ドラマとポエジーの画家 和田義彦展」を中心に、和田氏とスギ氏の対面調査での発言、調書、図録などを検討。「盗作でないと証明する十分な根拠がない」という結論に至った。美術評論家高階秀爾氏ら有識者4人にも意見を求めたが、「盗作の可能性をぬぐいきれない」との声が強かったという。

 今年4月に匿名の投書が社団法人日本美術家連盟文化庁に寄せられたことから、疑惑が浮上。文化庁の聴取に対し、和田氏は「スギ氏とは長い付き合いで、一緒に習作やデッサンをして影響を受けた。作品はスギ氏へのオマージュ(尊敬から似た作品をつくること)であり盗作ではない」と主張。スギ氏は「和田氏は私の絵のファンだと思っていた。画家と思ったことはない。和田作品を見て驚いている。明らかな盗作」と述べ、全面的に対立した。

 さらに、和田氏は4日夜、毎日新聞社文化庁に疑惑を否定したうえで賞を返上する意向を文書で伝えた。この中で和田氏は、「三十五年間に渡る深い交流を通じて啓発し合いながらの成果」「形を同化して私なりの空間、造形性を……盛り込み、独自の世界を創造することが、この時代のテーマだった」と説明したが、審査会では議論の対象にならなかった。

 和田氏は東京芸術大大学院を修了。美術団体「国画会」に所属していたが、盗作問題で5月31日に退会勧告を受けている。【米本浩二、手塚さや香

毎日新聞 2006年6月5日 10時41分 (最終更新時間 6月5日 12時17分)
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060605k0000e040027000c.html

 うーん、芸術にはまったく疎い不肖・木走でありますが、そうですか、遂に芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した洋画家の和田義彦氏(66)の作品がイタリア人画家、アルベルト・スギ氏の作品と酷似している問題で、文化庁は5日午前、盗作の有無を判断する臨時審査会を開き、「盗作とみられてもやむを得ない作品があった」として授賞の取り消しを決めた」ですか。

 しかしなあ、審査員たちの発言ですが「盗作とみられてもやむを得ない作品があった」とか「盗作でないと証明する十分な根拠がない」とか「盗作の可能性をぬぐいきれない」とか、なんだかなあ、なんか奥歯にモノが挟まったようなあいまいな表現で、素人の私たちが聞いてても歯切れが悪いですよね。

 ・・・

 ありゃ誰が見てもパクリでしょ(爆

 私もTV報道で確認しましたが素人見でもどう考えてもパクリ以外の何ものでもないと思うし、当の盗作されたイタリアのスギ様(苦笑)が共同製作など承知していないと言い切ってるんですからネ。

 ・・・

 しかしなあ、芸術とは奥が深いなあと思うのは、和田義彦氏のいいぶんがまたカッコイイのですよね。

「スギ氏とは長い付き合いで、一緒に習作やデッサンをして影響を受けた。作品はスギ氏へのオマージュ(尊敬から似た作品をつくること)であり盗作ではない」

「三十五年間に渡る深い交流を通じて啓発し合いながらの成果」「形を同化して私なりの空間、造形性を……盛り込み、独自の世界を創造することが、この時代のテーマだった」

 なるほどねえ、「作品はスギ氏へのオマージュ(尊敬から似た作品をつくること)であり盗作ではない」わけで、「形を同化して私なりの空間、造形性を……盛り込み、独自の世界を創造することが、この時代のテーマだった」わけですね。

 ・・・

 そうか、この論理でいけばオマージュ(尊敬から似た作品をつくること)であれば、盗作じゃないんだな・・・
(↑また何を勘違いしてんだ、このオヤジは)

 ・・・

 よおし、私も大好きな朝日新聞社説をオマージュしてみようっと(爆)
 (↑どうして性懲りもなくこういうバカなことをするのか、このオヤジは(苦虫))



●NHK改革 チャンネル減はいいが 〜本日の朝日新聞社

 本日(5日)の朝日新聞社説から・・・

NHK改革 チャンネル減はいいが

 不祥事続きのNHKをどう変えるか。不払いがなくならない受信料制度をどうするか。改革案が出そろいつつある。

 いろいろな案の中で、竹中総務相の私的懇談会が示しているチャンネル数の削減に注目したい。

 NHKは、チャンネルを八つ持っている。地上テレビが総合と教育の二つ、衛星は第1、第2、ハイビジョンの三つ、ラジオがFMを含めて三つだ。衛星は1波で十分、ラジオも3波は多い。合わせて3〜4波を減らそう。これが懇談会の案である。

 チャンネル減や組織の大胆なスリム化で受信料を大幅に引き下げ、支払い義務を法律で明確にする。その後必要なら不払いへの罰則も検討する。縮小再編と受信料の「税金化」が2本柱だ。

 私たちはこれまで、NHKはチャンネルの一部を返上するといった思い切った策を打ち出すべきだ、と主張してきた。今回の案はそれと重なる部分もある。

 とはいえ、気になる点も少なくない。

 そもそもNHKの改革論が高まったのは、2年前からの一連の不祥事が原因だった。これに対してたくさんの視聴者が不払いという手立てで抗議の意思を示した。それがNHKトップの辞任につながり、内部からも改革への意欲を高めることになった。

 安易に支払いの義務化や罰則の導入をすれば、絶えず視聴者の信頼を得ようとする緊張感を弱めるおそれがある。NHKの現況をみれば、巨額のカラ出張など不祥事は止まる気配がない。何より信頼の回復が先だ。不払いを防ぐための義務化や罰則を議論するのはまだ早い。

 チャンネル削減についても、もっと丁寧な説明が必要だ。

 まず、公共放送はなぜ必要か、どうあるべきか。懇談会はその理念をきちんと議論してほしい。それなしにチャンネル削減を言っても説得力に欠ける。

 衛星から「冬のソナタ」のブームが生まれ、日韓関係に光を与える文化現象になった。ラジオも根強いファンがいる。残すチャンネルにどんな番組をどう割り振るか。削減したチャンネルはどう活用するのか。検討すべきことは多い。

 受信料でいえば、視聴者の3分の2は地上波だけの契約だ。衛星を減らせば、スリム化にはなるが、地上波受信料の大幅な値下げにどこまで効果があるかはわからない。チャンネルの削減をどう組織の合理化、コスト減に結びつけるか、その具体論がいる。

 チャンネルは減った。受信料はさほど下がらない。おまけに罰則がつく。これでは視聴者は納得できるはずがない。

 若い人を中心に、NHKを見ない人も増えている。それでも受信料を払わなければならないのはなぜか。きちんとした理屈がないと支持されまい。

 懇談会の報告書は近くまとまり、自民党案などと合わせて政府の「骨太の方針」に盛り込まれる。公共放送はいかにあるべきか。視聴者も声をあげたい。

http://www.asahi.com/paper/editorial.html

 しかしなあ、NHKがダメダメなのは朝日社説の言うとおりですが、朝日新聞に言われてはNHKも立つ瀬がないよなあ(苦笑)

 読者のみなさん、次のこの社説の各文章なんか、どう思います?

 不祥事続きのNHKをどう変えるか。

 そもそもNHKの改革論が高まったのは、2年前からの一連の不祥事が原因だった。これに対してたくさんの視聴者が不払いという手立てで抗議の意思を示した。それがNHKトップの辞任につながり、内部からも改革への意欲を高めることになった。

 まず、公共放送はなぜ必要か、どうあるべきか。懇談会はその理念をきちんと議論してほしい。それなしにチャンネル削減を言っても説得力に欠ける。

 若い人を中心に、NHKを見ない人も増えている。それでも受信料を払わなければならないのはなぜか。きちんとした理屈がないと支持されまい。

 ・・・

 固有名詞の「NHK」を「朝日新聞」に変えてもそのまま「正しい」文章じゃないですか(爆笑)

 ・・・

 うーん、創作意欲がわいてきたぞ。

 私と朝日新聞のつき合いも、和田氏とスギ氏と同じぐらい長い付き合いで、私も朝日社説からは、和田氏がスギ氏から一方的に影響を受けたと同じぐらい影響を受けてきました。

 不肖・木走が朝日新聞へのオマージュ(尊敬から似た論説をつくること)テキストをおこしてみましょう。

 これはオマージュ(尊敬から似た論説をつくること)であり盗作ではないのです。



朝日新聞改革 部数減はいいが 〜木走日記・朝日新聞社説オマージュ作品

 ちょっと NHKを朝日新聞に、チャンネル減を部数減にオマージュして、それに合わせて文章も「私なりの空間、造形性を……盛り込み、独自の世界を創造する」ようにオマージュしてみましょう。
(↑オマージュの使い方がおかしくないか?)

朝日新聞改革 部数減はいいが

 不祥事続きの朝日新聞をどう変えるか。不祥事がなくならない新聞宅配制度をどうするか。改革案が出そろいつつある。

 いろいろな案の中で、木走日記が示している部数削減に注目したい。

 朝日新聞は全国5本支社で発行されており、全国をくまなくカバーしている。朝日の公称に依れば、朝刊の販売部数は全国5本支社合計で825万部を超え、夕刊の販売部数は約386万部である。朝刊の世帯普及率は、全国世帯の約16%に対し、主要都府県では約21%と、都市部を中心に高くなっている。

 この公称部数から、いわゆる「押し紙」や「無代紙」と呼ばれる実際には販売されていない水増し部数を減らそう。これが木走日記の案である。


 部数減や組織の大胆なスリム化で購読料を大幅に引き下げ、「押し紙」禁止義務を法律で明確にする。その後必要なら「押し紙」への罰則も検討する。縮小再編と購読料の「自由化」が2本柱だ。

 私たちはこれまで、朝日新聞は部数の一部を返上するといった思い切った策を打ち出すべきだ、と主張してきた。今回の案はそれと重なる部分もある。

 とはいえ、気になる点も少なくない。

 そもそも朝日新聞の改革論が高まったのは、ここ10年の一連の不祥事が原因だった。これに対してたくさんの購読者が抗議の意思を示した。それが朝日新聞トップの辞任につながり、内部からも改革への意欲を高めることになった。

 安易に宅配制度の自由化や罰則の導入をすれば、絶えず購読者の信頼を得ようとする緊張感を弱めるおそれがある。朝日新聞の現況をみれば、記事の捏造など不祥事は止まる気配がない。何より信頼の回復が先だ。宅配の自由化や罰則を議論するのはまだ早い。

 部数削減についても、もっと丁寧な説明が必要だ。

 まず、新聞はなぜ必要か、どうあるべきか。木走日記はその理念をきちんと議論してほしい。それなしに部数削減を言っても説得力に欠ける。

 社説から靖国参拝問題の国際問題化が生まれ、日中関係に光を与える文化現象になった。天声人語も根強いファンがいる。残す部数にどんな報道をどう割り振るか。削減した部数はどう活用するのか。検討すべきことは多い。

 購読料でいえば、購読者の3分の2は朝刊だけの契約だ。夕刊を減らせば、スリム化にはなるが、朝刊購読料の大幅な値下げにどこまで効果があるかはわからない。部数の削減をどう組織の合理化、コスト減に結びつけるか、その具体論がいる。

 部数は減った。購読料はさほど下がらない。おまけに罰則がつく。これでは購読者は納得できるはずがない。

 若い人を中心に、朝日新聞を見ない人も増えている。それでも購読料を払わなければならないのはなぜか。きちんとした理屈がないと支持されまい。

 新聞はいかにあるべきか。購読者も声をあげたい。

 これはオマージュ(尊敬から似た論説をつくること)であり盗作ではないのです。
 (↑オマージュ、オマージュってしつこくないか?)

 ・・・

 どうです、このオマージュ作品は。

 ・・・(汗

 え? 独創性もひねりも何もない意味不明の駄文だって?

 ・・・(大汗

 ・・・

 しょうがないでしょ、元ネタが意味不明の駄文なんだから盗作したって意味不明の駄文だってば!!
(↑あーあ、盗作って認めちゃったよ、このオヤジ(爆))

 ・・・

 オマージュだかなんだか知りませんが、パクリはパクリだっての。

 ジャンジャン。



(木走まさみず)