木走日記

場末の時事評論

抜本的改良は手遅れな東京証券取引所システム〜問われる技術立国日本の脆弱性

●実は手遅れな東京証券取引所のシステム処理能力拡大策

 東証の社長が株式売買システムの約定処理能力について「1日当たり700万件以上に引き上げたい」との意向を表明したそうです。

東証問題】「約定能力を700万件以上に引き上げたい」、西室社長兼会長が表明

 東京証券取引所西室泰三社長兼会長は1月19日、株式売買システムの約定処理能力について「1日当たり700万件以上に引き上げたい」との意向を表明した。現在のシステムでは、1日当たり450万件が限界。1月30日のシステム刷新で約定処理能力を500万件まで拡大するが、さらなるシステム拡張をしたいとの考えを示した。

 東証は1月18日、ライブドア強制捜査開始による影響で約定件数がシステムの限界に迫り、午後2時40分に東証1部・2部・マザーズ市場の全銘柄の取引を強制的に停止した(関連記事1、関連記事2)。当日の会見で、東証は「年内にも1日の注文処理能力を現在の900万件から1500万件まで拡大させる」(深山浩永執行役員)と説明している。

 西室社長兼会長の発言どおり、東証が約定処理能力を拡大すれば、1日当たりの約定処理件数は450万件から700万件強に、注文処理件数は900万件から1500万件に増えることになる。

日経コンピュータ電子版 2006年01月19日
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20060119/227575/

 しかし、現実問題としては「覆水盆に還らず」でありまして、今回の東証システム停止は、海外メディアからは酷評されているのであります。

 昨日(19日)の産経新聞夕刊記事から・・・

海外メディア、東証酷評 ライブドアショック

 東京証券取引所の取引停止まで誘発した「ライブドアショック」について、海外のメディアも大きく報道を続けている。

 十九日付米紙エイジアン・ウォールストリート・ジャーナルは一面トップで「東証の緊急停止は、自らの技術力を誇ってきた日本という国の中枢が、驚くべき敗北宣言に追い込まれたことにほかならない」と論評した。

 同日付英紙フィナンシャル・タイムズ(アジア版)も、一面トップで「屈辱の再発を免れようと、絶望的な試みが続けられている」と東証の混乱ぶりを伝えた。

 英紙タイムズは東京発で、東証のトラブルについて「突然、誰も株を売ることができなくなり、大混乱に陥った。寛容に表現しても、東証のPRとしてはよろしくない。公平に表現するなら、まったくもってばかげている」と皮肉った。

 また、事件の性質について、「(巨額不正会計事件を起こし経営破綻(はたん)した)エンロンとはまったく違う」と指摘。半導体や鉄鋼、自動車、家電製品の製造業が主要産業である日本において、ライブドアは「刺激的だが、小さな一部分を占めるにすぎない」とした上で、「今回の事件は、エンロンと比べるよりもむしろ、(「カリスマ主婦」と人気を集めながら株式のインサイダー取引にからむ偽証罪で服役した)マーサ・スチュワート事件と比較されるべきものだろう」とした。

平成18(2006)年1月19日[木] 産経新聞夕刊
http://www.sankei.co.jp/news/060119/evening/20bus001.htm

 いやはや手厳しい海外論調が多いのですがひとつの論調の特徴として、ウォールストリート・ジャーナルの東証の緊急停止は、自らの技術力を誇ってきた日本という国の中枢が、驚くべき敗北宣言に追い込まれたことにほかならない」この一面トップ記事に代表されるのですが、今回の東証システム停止という醜態を、技術立国日本という国そのものが抱える脆弱性としてとらえている論調が多いのです。

 欧米だけでなくアジアからもかなり厳しい批判の声が挙がっているのですが、それだけ世界第二位の市場規模で技術先進国である日本で起きた今回の証券市場システムの停止という事態が、世界各国で驚くべき衝撃的な「信じられない醜態」として捉えられているわけです。

 このまま放置すれば、東証システムの海外からの信頼性そのものが失いかねない深刻な事態であることを当事者は強く自覚すべきであります。

 ・・・

 しかしです。

 一人のIT技術者の立場から正直に発言させていただきます。

 上記の東京証券取引所のシステム処理能力拡大策ですが、システム的に起こっている現実は、焼け石に水の場当たり対策であり、抜本的対策としては処置無しの手遅れな状態なのであります。

 具体的にいかに「手遅れな状態」なのか検証してみたいと思います。



●その速度差はスペースシャトルと乳母車の差だ!〜日米システムの能力格差は絶望的

 今日の読売新聞朝刊記事から・・・

NY証取 能力けた違い 1時間に4680万件
取引量 通常の5倍でもOK

 【ニューヨーク=小山守生】東京証券取引所が18日に取引停止に追い込まれたのは、取引量がコンピューター・システムの処理能力の限界に近づいたためだが、世界最大の取引所であるニューヨーク証券取引所は「通常の取引量の約5倍を処理できるシステム能力を備えている」ため、東証のような事態は考えられないとの見方が多い。

 ニューヨーク証取は、売買注文の受け付けや約定、注文取り消しなどの業務を1秒間に1万3000件処理できる。これまで最大の処理実績は同6000件で、「取引のピーク時でも十分に余裕がある」(市場関係者)。1時間の処理能力は4680万件にもなり、東証が1日で処理できる売買注文900万件、約定450万件を大きく上回る。

 ニューヨーク証取は、過去12年間に計20億ドル(約2300億円)以上の関連投資を行い、システムを増強してきた。1990年代後半の株式バブル、ここ数年のインターネットによる株取引普及に伴う取引量の増加に対応するためだ。2001年9月の米同時テロ後は、取引所の機能をまひさせるサイバーテロに備えた増強も行われた。

(2006年1月20日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/mnews/20060120mh06.htm

 いかがでしょうか、このニューヨーク証券取引所東京証券取引所のシステム間の能力差でありますが、あきれてしまう格差ではありませんか。

 かたや毎時4680万件に対し、かたや一日の総量が900万件であります。

 ショックな話ですが、ニューヨーク証券取引所の4680万件は一時間あたりの能力であり一日あたりで換算すれば3億件を越えるであろう処理能力なのであります。

 世界最大の取引量を誇る取引所と単純比較しても東証システムには酷なのでありますが、より重要なのは、ニューヨーク証券取引所のシステムが「通常の取引量の約5倍を処理できるシステム能力を備えている」点です。

 このシステムの能力を東証システムで実現するためには、東証の過去取引量実績で言えば、売買注文4000万〜4500万件の処理能力を有しなければなりません。

 冒頭の記事で「1日当たり700万件以上に引き上げたい」などと東証社長が表明していましたが、いかに場当たり的な拡大策か理解いただけましたでしょうか。

 このニューヨークの過去最大量取引の5倍まで耐えられる能力が、決して過剰投資ではない適正な能力であることは、中期的将来展望を睨んでの計算された能力なのでありまして、「過去12年間に計20億ドル(約2300億円)以上の関連投資を行い、システムを増強してきた」賜物なのであります。

 ・・・

 問題が深刻なのは実はこの記事で指摘しているシステムの処理要求数に関わる能力差だけではないのです。

 一般に、ネットを使って業務を支援するようなシステムの場合、問題になるのは大きく二つの能力であります。

 ひとつはこの記事で扱っているように、システムのトランザクション量(単位時間当たりに処理しなければならない処理要求数)であります。

 で、もうひとつの重要な性能は平均応答時間(処理要求一つを受け付けてから処理を終え結果を通知するまでの時間の平均)であります。

 実は東証システムの抱えている真の問題は平均応答時間にあるといっても過言ではないのです。

 現段階で、売買注文がコンピュータに登録されたことを東証システムが注文を出した証券会社に通知してくるまでの時間(レスポンス・タイム)が平均10秒もかかっているのです。

 これは国際的投資家にとっては致命的な遅さであるということです。

 ちなみに米ナスダックやニューヨーク証券取引所、英ロンドン証券取引所のレスポンス・タイムは、0.2秒から0.01秒であるといいます。

 10秒と0.01秒、約1000倍の速度差であります。

 わかりやすく乗り物のスピード差で比喩すれば、この格差は宇宙空間を滑空するスペースシャトルの速度と地面をのんびり進む乳母車の速度の差に匹敵します。

 これが隠れた問題なのです。

 ほとんど報道されていませんが、トランザクション量に対する対応は「焼け石に水」ではありますが、東証システムも将来の増加も見込んで対策を行っているわけですが、しかし、レスポンス・タイムを短縮する対策は必ずしも充分ではなく、むしろ今後更に悪化することが懸念されているのです。

 東証システムは一世代前の旧型システムであり抜本的能力の改善には最新システムを投入するしか方法はないのでありますが、それには少なくとも後2年以上の時間が必要なのです。

 それまでは、英紙フィナンシャル・タイムズ一面トップの指摘通り「屈辱の再発を免れようと、絶望的な試みが続けられて」いくしかないのです。

 ・・・

 東証システムが国際比較において、いかに抜本的改良は「手遅れな状態」なのか、ご理解いただいたでしょうか。



東証はIT投資を怠ったツケを払わされているのだ〜しかし問題は東証だけではない

 私から言わせていただければ、東証は長年IT投資を怠ったツケを払わされているのであります。

 しかし、多くの海外メディアが今回の東証システム停止という醜態を技術立国日本という国そのものが抱える脆弱性としてとらえているわけですが、それはある意味で本質を突いている正論であるといえます。

 日本の組織では、官民関係なくあまりにもIT部門の弱体化が進みすぎているのではないでしょうか。

 今回の東証もIT部門は事実上富士通に丸投げの状態でありました。

 ITは本流でないとし、IT部門を縮小したり子会社化したり、事実上「アウトソーシング」という美辞麗句を隠れ蓑に、IT部門の人材育成に力を入れるわけもなく、ITベンダーに丸投げする組織が圧倒的なのです。

 そしてIT投資は必要最小限にとどめるよう経理努力は怠りなく、ベンダー同士で価格をたたき合いをさせてコストを抑えるだけ抑えて短納期に納品させることを、当たり前のように考えているのです。

 そのような過酷な環境の中で、ぎりぎりの予算で開発されたシステムのひとつが、今回停止した東証システムであるわけです。

 停止してあわてて大騒ぎしてシステム開発メーカーをつるし上げたところで、長年のIT投資を怠ったツケは、一にも二にも東証側にあることは言うまでもありません。

 ・・・

 コンピュータの専門誌からの引用で恐縮ですが、日経コンピュータ05年12月12日号「ITアスペクト」では、田中克己氏(=編集委員室主任編集委員)がこの問題に警鐘を鳴らすレポートを掲載しています。

日経コンピュータ05年12月12日号「ITアスペクト」 
システム障害の根源はIT部門の弱体化にある---針路IT(15回)

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20051222/226680/

 この興味深いレポートは以下のような結語で結ばれています。

 社会インフラと化したITシステムが止まれば大変な事態になることは誰もが知っているのに、納期通り、予算通りにカットオーバーしても誰も喜ばないし、評価もしない。開発担当者が「よくやった」とほめられることも少ない。経営者が「できて当然」と思っているからだろう。そんな考え方を改めない限り、誰が責任をもってITシステムをつくろうとするだろうか。丸投げをやめて、ITで企業経営を支えるのだという気概を持った技術者(IT部門もITベンダーも)を育てる環境をつくる。社内におけるIT部門の位置づけを変え、きちんと処遇する。まず、そこから始めるべきではないだろうか。

 ・・・

 今回の東証システム停止問題では、厳しくそのシステムの脆弱性が問われているのであります。

 しかし、真に問われているのは、実は技術先進国日本社会の、IT技術を軽んじてきたその体質そのものかも知れません。



(木走まさみず)



<テキスト追記> 2006.01.22 14:10
 コメント欄等の御指摘を受け、追記いたします。

上記エントリーの以下の部分の情報ソースについて。

 現段階で、売買注文がコンピュータに登録されたことを東証システムが注文を出した証券会社に通知してくるまでの時間(レスポンス・タイム)が平均10秒もかかっているのです。

 これは国際的投資家にとっては致命的な遅さであるということです。

 ちなみに米ナスダックやニューヨーク証券取引所、英ロンドン証券取引所のレスポンス・タイムは、0.2秒から0.01秒であるといいます。

 ここの部分は、私の仕事仲間の現役の証券系システムを構築・運用中のチーフエンジニアS氏から仕入れたネタ(ベンチマークテスト等)に基づき伝聞として記述したものです。

 ただ、ネット上で当該資料は公開されていないようです。

 彼のニューヨーク証券取引所システムに関する資料では平均0.01秒を切る値でしたが、この資料はNYSEのコンピュータシステムおよび通信網の運用を担当しているSecurities Industry Automation Corporation (SIAC)のものでした。ちなみにSIACは、NYSEアメリカン証券取引所 (AMEX) の子会社です。

Securities Industry Automation Corporation (SIAC)
http://www.siac.com/

 で、エントリーに採用した「平均10秒」とか「0.2秒から0.01秒」とか具体的数値は、12月3日付けの日経新聞に記事として掲載されいていた数値を採っています。
 12月3日付けの当該日経記事は、ネット上で確認できないのですが、調べましたところ以下のサイトで転載されていましたので、ご紹介しておきます。

 記事(日本経済新聞(2005.12.3)7面)には

 東京証券取引所が11月1日に大規模な売買システム障害を起こしてから1ヶ月。
日経平均株価(ダウ平均)は終値で5年ぶりの1万5千円台を回復し、障害直後の騒ぎがウソのような活況に沸いている。だが外資系証券会社や一般投資家の東証不信は今も消えない。深刻な「もう一つのシステム問題」があるというのだ。


 売買注文がコンピュータに登録されたことを東証が注文を出した証券会社に通知してくるまでの時間(レスポンス・タイム)が平均10秒もかかっている。

証券会社にとって、この「受付通知」は大きな意味がある。ヘッジファンドなどの注文を大量に処理する外資系は、最初の注文成立を確認した後、即座にカラ売り、反対売買、裁定取引など複雑な取引を繰り出していく。

 最初の確認に時間がかかれば、その後の取引にも支障が出るため利益を得にくくなる。一刻を争うスピード勝負だが、ある外資系証券の担当者は「東証の反応が遅いので、注文を抑えざるを得ない」と怒りを隠さない。

 ちなみに米ナスダックや英ロンドン証券取引所なら、100分の1秒から100分の20秒という。5秒、10秒という東証の時間がいかに見劣りがし、悠長なシステムであるかがわかる。

 東証は11月のシステム障害の対応として、処理可能件数を現状の1.2倍に引き上げる。だが注文確認のスピードアップに着手しなければ、国際市場としての地盤沈下は避けられない。
「もう一つのシステム問題」は、取引所再編が起きる引き金になるかもしれない。

ネット社会:今日の動き
http://netsyakai.seesaa.net/article/10151249.html

 また、少し調べましたところ以下のサイトでも興味深い証券トレーダーの話が載っていますのでご参考までにご紹介しておきます。(ここでは数十倍〜100倍の差と記述されています)

東証誤発注問題の背景
Go Ahead
http://blog.livedoor.jp/goahead2005/archives/50387699.html