ハンセン病補償法訴訟報道についての一考察〜混在する二つの贖罪意識
●ハンセン病補償2訴訟、「台湾」支給・「韓国」は棄却
昨日の読売新聞から・・・
ハンセン病補償2訴訟、「台湾」支給・「韓国」は棄却
台湾ハンセン病補償法訴訟で「勝訴」を伝える原告弁護団 日本統治時代、現在の韓国と台湾に設置されたハンセン病療養所の入所者計142人が、ハンセン病補償法に基づく補償請求を棄却されたのを不服として、厚生労働相に棄却処分の取り消しを求めた2件の行政訴訟の判決が25日、東京地裁で言い渡された。
台湾訴訟で菅野博之裁判長は「台湾の療養所は、補償法に基づく厚労省告示が規定する国立療養所に該当する」と述べ、補償金を支給するよう命じた。一方、韓国訴訟で鶴岡稔彦裁判長は「日本統治下の入所者は補償対象に含まれない」として原告の請求を棄却した。韓国訴訟の原告は控訴する方針。
日本の統治下にあった海外の療養所の入所者に対する初の司法判断だったが、判断が分かれたことで、国の対応が注目される。
原告は、韓国の「小鹿島更生園」(現・国立ソロクト病院)の117人と、台湾の「楽生院」(現・楽生療養院)の25人。日本の植民地政府だった総督府が設置した療養所に入所していた。
台湾訴訟の判決で、菅野裁判長はまず、補償法の性格について、「広くハンセン病療養所に入所していた人を救済するのが目的の特別な立法」と認定した。その上で、立法過程で、戦前の台湾における療養所の入所者が補償対象になるかどうか、具体的な検討はなされていなかったものの、1934年以降、台湾では日本の旧癩(らい)予防法が施行されていたと指摘。「当時は日本の施政権が及んでいた地域の施設で、他の要件は満たしているのに、台湾にあったというだけで、入所者を補償対象から除外するのは平等の原則上、好ましくない」とした。
一方、韓国訴訟で鶴岡裁判長は、補償法の審議経過で韓国や台湾の入所者を補償の対象とした議論がなく、法が想定した補償費用700億円の積算根拠にも、これらの入所者数が含まれていないことから、「立法過程で、統治下の入所者は補償対象とならないとの認識が前提にあった」と指摘した。その上で、戦後、日本の主権下を離れた韓国の入所者を区別したことに、「合理的な根拠を認める余地がある」と結論づけた。
原告らは03年12月から、補償請求を行ったが、国は「補償法の対象に、総督府が設置した療養所は含まれていない」として請求を棄却したため、昨年8月から今年2月にかけて提訴した。韓国、台湾両訴訟は、同地裁の別の部で審理された。
(2005年10月25日13時48分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20051025it01.htm
うーん、全く同質の訴訟が同じ日の30分ほどの時差をもって国により異なる判決が出てしまったわけであります。
裁判長が異なるのだから判決が割れたこと自体、ことさら問題視すべきではないのでしょうが、この問題、どうも日本政府というか国会の「過去の無策」が遠因なだけに、おそらく多くの国民は複雑な気持ちを抱いてしまったことでしょう。
●市民新聞JANJANの記事から考えてしまう二つの贖罪意識
私が市民記者登録させていただいているインターネット新聞JANJANでは、いろいろな人権問題で活動しているあるいは支援している人々が市民記者として記事を投稿されています。
このハンセン病補償法訴訟問題においても主として韓国側に関してですが、小原紘記者が以前より熱心に記事として取り上げていました。
韓国ハンセン病患者による補償請求裁判結審!(上) 2005/07/22
http://www.janjan.jp/world/0507/0507210828/1.php
韓国ハンセン病患者による補償請求裁判結審!(下) 2005/07/23
http://www.janjan.jp/world/0507/0507210840/1.php
これはなかなかの良記事でありまして、小原紘記者は5回の公判を傍聴してしっかりとした取材の中で記事をおこしています。
そして、彼の記事は以下の文章で結ばれています。
(前略)
さて、今回のソロクト裁判はこの「国家賠償」を求めている一般の事件とは異質の裁判であることを理解しておく必要があります。今回求めている補償は、2001年に熊本地裁判決が確定したことを受けて、議員立法で制定された「ハンセン病補償法」による国家補償を求める裁判です。従って1965年の日韓条約を理由とした、また上記の「国家無答責」「除斥期間」などという理由が持ち込まれる懸念は全くありません。
負けるはずのない裁判であるにもかかわらず、私が「不安」を感じる理由は、裁判とこの国の政治に対する不信があるためです。とにかく責任をとりたくない体質と、そのためには何を言いだすか分らないという不安。日本の隔離政策によって被害を受けたすべての人に対する慰謝と補償金を支給する趣旨で定められた法の適用は、日本人としてのプライドにかけて急ぎ実現しなければならないと、5回の公判を傍聴して痛切に感じています。一抹の不安を抱きながらも裁判官の良識と勇気に期待したいと思います。
韓国ハンセン病患者による補償請求裁判結審!(下) より結語抜粋
たしかに「日本の隔離政策によって被害を受けたすべての人に対する慰謝と補償金を支給する趣旨で定められた法の適用は、日本人としてのプライドにかけて急ぎ実現しなければならない」主旨は良く理解できますし、「負けるはずのない裁判」が記者の「不安」が的中してしまった昨日の判決は、多くの日本人も疑問視したことでしょう。
しかしです。
この問題を複雑にしている一つの要因として2つの贖罪意識が混在している点は明確にしておく必要があると思われます。
2つの贖罪意識とは、かつて日本が犯したとされる旧植民地に対する差別的諸施策に対する贖罪の意識と、当時日本だけでなく世界中でおこなわれてたハンセン氏病患者に対する非人道的非科学的隔離政策に対する贖罪の意識です。
上記JANJAN記事を読んで最初に私が感じた複雑な想いは、記事としてすばらしいし、その主張も決して暴論ではなく納得のできるものでありながら、記事中そこそこで出てくる微妙な記述による記者の2つの贖罪意識の混在がかいま見れて、その点でどうしても違和感をもってしまったわけです。
最近、目に付く戦前の日本の不法行為に対するアジア諸国の人たちからの損害賠償訴訟。当日も「731部隊細菌戦」による謝罪と賠償を求める高裁判決言い渡し日ということもあって、裁判所前は中国人原告団と支援者の人たちでいっぱいでした。日本全国の裁判所でこの種の裁判が何件くらい審理中なのかわかりませんが、相当の数にのぼることは確かなようで、この日もわが国がかたくなに過去を清算することを拒んでいる姿を実感させられました。
韓国ハンセン病患者による補償請求裁判結審!(上) より抜粋
このように、かつての戦争で日本があるいは日本軍がおこなった「不法行為」のひとつとして、この隔離政策を捉えるだけでは本質的な当時の世界中でなされていたハンセン氏病患者に対する非人道的非科学的隔離政策への追求と乖離してしまうと思うのです。
●戦後も続いた非人道的諸策〜旧日本の不法行為という視点は視野が狭すぎる
なぜなら、当時このような隔離政策を施していたのは別に日本だけではなく世界中の国で誤った認識の中で偏見と蔑視が渦巻く中、ハンセン氏病患者に対し、それはひどい非人道的処置が実行されていたからです。
日本政府だけが特に非人道的な施策をとっていたわけではない実例は、世界各国に枚挙に暇がないほど文献として残っているわけですが、ここでは一例として、戦後アメリカ占領統治下の沖縄・奄美地区でのハンセン病患者への苛酷を極めた隔離政策に見ることが出来ます。
今年の3月に財団法人日弁連法務研究財団の『ハンセン病問題に関する検証会議』が、850ページにもわたる膨大な最終報告書を提示しています。
ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書
http://www.jlf.or.jp/work/pdf/houkoku/saisyu/0.pdf
全文がインターネットで公開されていますが、これほどに真摯に事実検証し良くまとめられている日本におけるハンセン病問題の資料は今までなかったのではないでしょうか。
このレポートの中で、わざわざ一つの章を割いて『第十六 沖縄・奄美地域におけるハンセン病政策』が検証されています。
第十六 沖縄・奄美地域におけるハンセン病政策
第1 沖縄・奄美地域のハンセン病隔離政策の検証の意義
第2 隔離政策の始まり
第3 ハンセン病患者の沖縄戦
第4 アメリカ統治下の奄美の強制隔離政策
第5 アメリカ統治下の沖縄の強制隔離政策http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/kenkou/hansen/kanren/dl/4a27.pdf
『第4 アメリカ統治下の奄美の強制隔離政策』から抜粋してみましょう。
アメリカ軍政下、奄美群島は北部南西諸島米国海軍軍政府のもとに置かれ、行政府として奄美大島に臨時北部南西諸島政庁が設置される。この政庁は1950(昭和25)年11 月、軍政府から民政府への転換にともない、奄美群島政府となる。立法府としては1950(昭和25)年1 月に奄美民政議会が置かれ、奄美群島政府発足と同時に公選制の奄美群島議会が設置される。このように、統治組織の変遷はあるものの、奄美群島は1953(昭和28)年12 月25 日に日本に返還されるまで、アメリカ軍の統治下にあったわけである。この間のハンセン病患者への隔離政策は苛酷を極めるものであった。
1947(昭和22)年5 月23 日、北部南西諸島赤十字社の設立に臨んで、同社総裁となった臨時北部南西諸島知事豊島至は、赤十字社の事業のひとつに「結核の予防撲滅、癩病の救済等に対する施設及事業を実施する等凡そ病苦に悩む人々に対し暖き救ひの手を差し伸べ人生に光明を与ふる事業」をあげている(豊島至「北部南西諸島赤十字社設立に就て」、北部南西諸島政庁『公報』6 号、1947 年6 月5 日)。さらに、8 月、沖縄出張から帰った豊島は「らいれう養所マ マの問題」として「日本本土から沖縄に三〇〇名の患者が送還されて来てゐるが、此の中に大島出身者が、一一一名あり、此の中に五名の子供が混つて居る。重病患者が相当に居るようであるが、之は一日も早く施設を拡充して大島に呼び寄せるつもりで居ります」と述べている(豊島至「沖縄出張報告書」、臨時北部南西諸島政庁『公報』12 号、1947 年8 月25 日)。沖縄戦を避けて本土の療養所に避難していたハンセン病患者を沖縄に送還する際、そのなかの奄美大島出身の患者を和光園に連れてこようという趣旨である。そのために和光園を拡充する方針が示されている。
この豊島の発言だけをとれば、人道的措置としての隔離という印象を受けるが、実はこの豊島発言の背景には同年2 月に出されたアメリカ軍政府の布告があった。2 月10 日、軍政府長官フレデリック・ハイドンは特別布告「南西諸島及び近海の住民に告ぐ」を発表、「公衆衛生の保護維持のために癩患者を隔離し南西諸島及び其の近海諸島に癩療養所を設立経営するの必要」を強調した。そこでは、「他に感染せしむる状態」にあるハンセン病患者の「完全隔離」すること、さらにはハンセン病であることを隠したり、「患者の逃亡をふう助し若は其の捕縛を防ママ害すること」を違法とし、許可なくして外部の者が療養所に立入ったり、入所者が外出することを禁止している。そして、この布告に違反した場合は罰金・禁固の刑罰を課すこととしている。
さらに北部南西諸島軍政府長官フレッド・ラブリーも2 月14 日に「北部南西諸島住民に告ぐ」という命令を発表、この地域のすべてのハンセン病患者を和光園に隔離収容することを明言し、「らい患者の近親医師その他其のらい患者たることを知悉せる者は直ちにその氏名住所を患者近住の警察署又は駐在所に届出づべし」と密告を奨励、患者の和光園よりの脱走の幇助、患者の園外居住の幇助・隠匿、あるいは前記の届出をおこなわなかった者は1000 円以下の罰金か禁固に処すこととしている。すなわち、患者の存在を知りながら密告しなかっただけで処罰されることになる(臨時北部南西諸島政庁『公報』12 号)。
682ページより抜粋
太字で協調した部分でもおわかりなように、戦争が終結して2年もたった昭和22年に、当時の奄美諸島では占領軍アメリカにより、旧日本政府よりも徹底した非人道な「隔離政策」が強行されているのです。
軍政府長官フレデリック・ハイドンの特別布告により、「他に感染せしむる状態」にあるハンセン病患者の「完全隔離」すること、さらにはハンセン病であることを隠したり、「患者の逃亡をふう助し若は其の捕縛を防ママ害すること」を違法とし、許可なくして外部の者が療養所に立入ったり、入所者が外出することが禁止されました。そして、この布告に違反した場合は罰金・禁固の刑罰を課すこととなり、密告しないだけで罪とされたのです。
その後のアメリカによる過酷な「完全隔離」政策の実態は是非リポートを参照いただきたいですが、重要なことはハンセン病患者に対する非人道的施策は、戦後も世界各地で続いていた事実であり、これら非人道的諸策を旧日本の不法行為という視点だけで断罪するのは視野が狭すぎるのです。
もちろん私は旧日本のとった諸施策を免罪することを意図しているわけではありません。
時代的背景はあったものの日本政府としてしっかり賠償すべき重要なそして倫理上の問題であると認識しております。
ただ、一部の論調によるかつての戦争で日本があるいは日本軍がおこなった「不法行為」のひとつとしてこの問題をとらえてしまうだけでは本質的な議論に至らないと指摘したいのです。
そのような軍国主義に結びつけた偏向した議論を持ち出すと、本質的な議論に至らないだけでなく、不用意な反発を招く点で非常に問題だと思うのです。
現にこの裁判結果に関するネットでの論調でも、一部に感情的な嫌韓論に結びついた反発も出てきています。
●各紙社説に見る「日本国民の良心」
今日の各紙社説はこの問題を一斉に取り上げています。
例によって各社説の結語とともにまとめてみましょう。
【朝日社説】ハンセン病判決 旧植民地も補償は当然だ
http://www.asahi.com/paper/editorial.html原告の多くはすでに80歳に達している。政府はこれ以上裁判所で争うことなく、旧植民地の人たちに早急に補償すべきだ。法を改正するまでもなく、厚労省の告示を変え、補償対象に旧植民地の療養所を追加すれば済むことである。
【読売社説】[ハンセン病救済]「国会は立法趣旨を明確にせよ」
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20051025ig91.htmハンセン病補償法は2006年6月までの時限立法だ。原告の元患者は平均81・6歳と高齢である。時間は少ない。このままでは、国会は再び「不作為」を問われよう。
【毎日社説】台韓のハンセン病 国会の責任で全面救済急げ
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20051026k0000m070130000c.html私たちは4年前、ハンセン病政策について深く反省し、被害者は無条件で一括救済しようと決めたのだ。法に不備がある以上、さらなる司法判断を待つまでもなく、国会で法改正を急ぎ、植民地時代の被害者も救済すべきである。アジアの人々との友好親善にも資するところは大きい。26日の党首討論でも取り上げ、早速、超党派で取り組むべきではないか。
【産経社説】ハンセン病訴訟 救済実現に政治の判断
http://www.sankei.co.jp/news/editoria.htmそもそも判決が二つに分かれたこと自体、手続き論ではなかなか結論が出せないことを示している。ここは政治の判断を明確に打ち出し、救済への道を開く場面なのではないか。
【日経社説】平等なハンセン病補償を
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20051025MS3M2500M25102005.html裁判が進行中の今年3月、厚労相が提出を受けたハンセン病問題検証会議の最終報告書は韓国、台湾の施設について「日本国内の国立療養所と同等に扱われた」と結論づけた。補償法の制定経過とその理念にかんがみれば、補償金の支給対象で訴訟が起きるのは残念な事態だ。厚労省は検証報告を踏まえ平等な補償を実行すべきだろう。訴えた元患者らの平均年齢は80を超えている。
あいかわらず朝日は「旧植民地も補償は当然だ」と旧日本軍国主義と結びつけたがっておりますが、各紙の論調の色合いの差はありますが概ね各紙の主張は、司法で解決できなければ立法府である国会が真摯に対応し、厚労省は検証報告を踏まえ平等な補償を実行すべきであるという点で一致していると思います。
ほぼ全紙の社説が強調して指摘しているように、「訴えた元患者らの平均年齢は80を超えている」わけでして、「超党派で取り組むべき」人道問題なのでしょう。
このハンセン病患者隔離問題は旧軍国日本の歴史的不法行為問題と歪曲することではなく、当時の世界各国の政府が犯した人道的な過ちの一貫として日本政府の責を問うべきであり、冷静にしかし速やかに解決をされることが重要なのだと思います。
この問題の読者のみなさまの考察の一助となれば幸いです。
(木走まさみず)